ブログ"TransPasific blog版"さんの「カプラーの真偽一体」に触発されて、ウィキペディアについて書いてみます。
「カプラーの真偽一体」はウィキペディアの現状を冷静に評価していて好感を持ったのですが、重要な視点が一つ、抜けていると思いました。
わざと書かれなかったのかもしれませんが、御自身が、ウィキペディアへ書かれても構わない、という点です。第三者的に眺めていないで、自分が入っていって良いものにしようとは思わないのですか、という疑問です。
ウィキペディアに書く義務が、すべての人にあるわけはありません。百科事典としてウィキペディアに知識を集約することが倫理的に「正しい」とも思いません。
しかし、ウィキペディアを利用するのであれば、参加し良いものにしていくことが道徳的なのでは、と思います。タダ乗りは良くない。
極端な話、個々人が自分のサイト・ブログに、百科事典の一項目に相当するものを書いておき、他の人が書いたものと適切にリンクを設定すれば、検索エンジンもあることだし、ウィキペディアがなくても良いのだと思います。
ただリンク設定が面倒だし、他人が自由に手を加えることもできない。
百科事典は、項目の抜けも分かるし、集約されているから便利です。
しかしウィキペディアの真骨頂は誰でも参加できることなのでしょう。皆で良いものを作り上げていくという非常に人間的な営みが、やろうと思えば、可能です。
「カプラーの真偽一体」の末尾にあるように、<ウィキペディアに書くことが正しい知識にアプローチする切っ掛けになります。書くためには文献を探して調べるというプロセスを踏みます。また、本当に知っている技術者が読んで、知識を放出してくれる糸口になり得るのではないでしょうか>ということなのだと思います。
と考えてくるとウィキペディアへ書くことは倫理的に正しいのかもしれませんが、義務となると嫌だな、と思ったりもしました。
なお私はウィキペディアに少しだけ書いています。忙しくて最近はご無沙汰していますが。
(以下、2008年1月19日23時30分追記)
人間らしいと言えば、ここ最近 報道されている偽装や無責任体質も、これだけ件数が多いのですから、人間らしい営みなのだと思います。不正が派手に報道されるだけで、不正を行う人の割合は低いのですが、たぶん。
ウィキペディアにおいても、嘘や嫌がらせがあったとしても、それはそれで人間らしい営みであり、仕方がないことなのでしょう。
ただ、迷惑。
百科事典なのですから、まったくの匿名はおかしいと思います。コンピュータシステムのつくりとして匿名を許容することは良いことですが、投稿した個人の責任を顕すため、実名ではなくとも、通称やハンドル名で書き込み、メールアドレス明示が望ましいと、私は思います(個人的には、どうしてみんな実名使わないの、と思います。"鈴木康弘"は日本全国に少なくとも1000人はいるだろうけれど、元加治駅が最寄は一人かな、と思いつつ)。
(以下、2008年1月20日18時0分追記)
ウィキペディアを閲覧するだけの「タダ乗りは良くない」、と記しましたが、主宰者や、多くの執筆者にしてみれば、余計なお世話かもしれません。偉そうなことを言うんだったら、あんたが書きなさい、と言われてしまうかも。
ということで、フォントサイズを小さくいたしました。
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