2017年1月22日 (日)

2016年12月27日・28日は糸魚川まで行ってきました、その2、朝の糸魚川駅

2016年12月28日(水)は午前5時50分頃に糸魚川駅に入りました。
5時50分に1番ホームをEF510牽引の貨物列車が通過、6時0分に3番ホームへ泊りゆき1624Dが発車、ときどき雪も降り始めました。

中線には前夜から留置と思われる(<-直江津)クモハ413-2+モハ413-2+クハ412-2の3両編成が寝ていました。
6時14分頃に乗務員さん1名が車内に入り、パンタグラフが上昇。
6時18分には2両編成の1621Dが1番ホームへ到着。

2016年12月28日 6時18分頃、糸魚川、左から大糸線のキハ120・中線の413系3連・1番ホームへ到着の1621D2連。
2016年12月28日 6時18分頃、糸魚川

左から大糸線のキハ120・中線の413系3連・1番ホームへ到着の1621D2連。

そして6時32分に金沢ゆき528Mとなる あいの風とやま鉄道の521系2+2連((<-直江津)クモハ521-4+クハ520-24+クモハ521-6+クハ520-6)が直江津方から2番ホームへ入線しました。

2016年12月28日 6時32分頃、糸魚川、直江津方から2番ホームへ入線した521系2+2連と中線で準備中の413系3連。
2016年12月28日 6時32分頃、糸魚川

直江津方から2番ホームへ入線した521系2+2連と中線で準備中の413系3連。

3番ホームへET122-4の泊りゆき1626Dが到着、先発する隣の528Mへ乗り換える乗客も見られました。

2016年12月28日 6時38分、糸魚川、3番ホームに到着する1626D(右)と先発の528M。
2016年12月28日 6時38分、糸魚川
3番ホームに到着する1626D(右)と先発の528M。

528Mは6時41分に発車。
6時46分にはEF510牽引の下りコンテナ貨物列車が1番ホームを通過。

2016年12月28日 6時45分頃、糸魚川、2番ホームから1番ホームを通過する下りコンテナ貨物列車を撮影。切り欠きの4番ホームは大糸線。
2016年12月28日 6時45分頃、糸魚川

2番ホームから1番ホームを通過する下りコンテナ貨物列車を撮影。切り欠きの4番ホームは大糸線。

6時52分ころに2両編成の1623Dが1番ホームに着発。このころには少し明るくなりましたが、雪と風が時に強くなりなかなか大変でした。

2016年12月28日 6時54分頃、糸魚川、中線の413系と発車した2連の1623D(右奥)。
2016年12月28日 6時54分頃、糸魚川
中線の413系と発車した2連の1623D(右奥)。

3番ホームにいた1623Dは6時56分頃に泊へ発車。
そして中線にいた413系3連は7時4分頃に直江津方へ移動し、7時12分に2番ホームへ入線。
ET122-8の1628Dが3番ホームへ7時28分に到着し、413系に乗り継ぐお客さんも見られました。413系の高岡ゆき534Mは7時31分に発車。

2016年12月28日 7時28分頃、糸魚川、2番ホームに停車中の413系高岡ゆき534Mと、3番ホームに到着する1628D。
2016年12月28日 7時28分頃、糸魚川

2番ホームに停車中の413系高岡ゆき534Mと、3番ホームに到着する1628D。

直江津方の電留線にいた485系は7時35分頃に直江津方へ移動し、3番ホームに止まっていた1628DだったET122-8も7時41分頃に直江津方へ移動。
そして単行の直江津ゆき1625Dが7時45分頃に1番ホームから発車。

2016年12月28日 7時46分頃、糸魚川、1番ホームから発車した単行の1625Dと待機中の485系。
2016年12月28日 7時46分頃、糸魚川

1番ホームから発車した単行の1625Dと待機中の485系。
写真はトリミングしていますが、実際は、485系はホームから500メートルほどでしょうか、遠くにいます。間に陸橋があります。

7時49分頃に485系は2番ホームへ据え付けられました。

2016年12月28日 7時51分頃、糸魚川、2番ホームに停車中のJR485系の8621M・快速 新潟ゆき。手前は大糸線のキハ120形。
2016年12月28日 7時51分頃、糸魚川

2番ホームに停車中のJR485系の8621M・快速 新潟ゆき。手前は大糸線のキハ120形。

7時54分頃に2連の泊ゆきが3番ホームへ到着。
7時56分頃にEF510牽引の下りコンテナ貨物列車が1番ホームと2番ホームの間の中線に到着しました。

485系の新潟ゆき快速 8621Mは糸魚川駅を定刻の7時58分に発車。編成内のグリーン車は、えちごトキめき鉄道線内は無料、直江津からのJR線内はグリーン県が必要、とのことでした。

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2015年3月14日 (土)

15年3月1日・2日は富山に行ってきました

2015年3月1日(日)・2日(月)に、北越急行を通る特急「はくたか」号で富山へ行ってきました。

3月1日朝、越後湯沢駅で発車を待つ「はくたか2号」(1002M)です。いわゆる「しらさぎ」塗装。北陸新幹線の金沢開業に備えて681系の塗装がこちらへ変更されているようです。
後ろの増結車両は北越急行の赤紫色帯でした。

2015年3月1日、越後湯沢、中央が「はくたか2号」の681系。左奥には115系もいます。
2015年3月1日、越後湯沢、中央が「はくたか2号」の681系。
左奥には115系もいます。

この「はくたか2号」に富山まで乗車しました。
在来線特急「はくたか号」は廃止になりますので、途中、「はくたか号」の歴史を紹介する車内放送がありました。交代して直江津から担当した車掌さん(JR西日本)による乗車記念カード配布、車内販売の記念品取り扱いもありました、
帰りに乗車した「はくたか21号」は越後湯沢まで車内販売があり、レシートは「NRE 金沢列車営業支店」でした。

それはそれとして。
富山地方鉄道の電鉄富山駅です。左側のテレビカーが到着すると、右端の14720形2両編成が上市へ発車して行きました。11時45分頃のお話です。

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2015年3月1日、富山、

16時0分頃に寺田駅へ到着する上り特急 UN12列車、16013ほかの3両編成「アルプスエキスプレス」です。
土休日だけの運行です。

2015年3月1日、寺田、16013ほかの「アルプスエキスプレス」の特急 富山ゆき(UN12レ)。
2015年3月1日、寺田
16013ほかの「アルプスエキスプレス」の特急 富山ゆき(UN12レ)。

3月2日(月)。
土休日は「アルプスエキスプレス」で運転と告知されている富山13時4分発の特急 宇奈月温泉ゆき(UN7列車)は、平日のこの日は2両編成の16011+16012でした。

2015年3月2日、中滑川〜滑川、16011ほかの特急 宇奈月温泉ゆき(UN7レ)。
2015年3月2日、中滑川〜滑川、16011ほかの特急 宇奈月温泉ゆき(UN7レ)。

上の写真の直前、JR北陸本線の特急「はくたか8号」(1008M)が通過しました。
中滑川駅に停車中の元・西武5000系と「はくたか」のすれ違いを遠くから見守りました。

2015年3月2日、滑川〜東滑川、「はくたか8号」(1008M)の683系。
2015年3月2日、滑川〜東滑川、「はくたか8号」(1008M)の683系。

中滑川駅に到着した、同駅止まりの下り普通列車31です。34レとなってすぐに富山駅へ折り返します。

2015年3月2日、中滑川、この駅止まりの31レ。17482ほか。左側の複線はJR北陸本線です。
2015年3月2日、中滑川、この駅止まりの31レ。17482ほか。
左側の複線はJR北陸本線です。

車両は17481+17482の2両編成。元・東急8590系です。
4ドア・ロングシート車を大雪の立山駅(宇奈月温泉駅も雪は多かったです)へ走らせているのか興味がわきますが、私が見た感じでは、このステンレス車は上市ゆきや岩峅寺ゆきに入っていることが多かったです。

朝は立山駅に行きました。雪がたくさん残っていたので驚きました。この写真の背中側にある電留線も2メートルほどの雪に埋もれていました。

2015年3月2日、立山駅、左奥の電車は富山ゆき318となる14769ほか2両編成。
2015年3月2日、立山駅
左奥の電車は富山ゆき318となる14769ほか2両編成。

立山駅周辺は晴れていたのですが、平地に降りると曇っていて、お昼の中滑川駅周辺は小雨がパラパラしていました。

富山駅前(南側)です。地鉄の市内線が新幹線のホーム下へ乗り入れる工事はほぼ完成した感じでした。
右手の駅前広場の工事はまだまだに見えました。開業まで2週間あるので今頃は、きれいに仕上がっているのでしょうが、ちょっとビックリしました。

2015年3月2日、富山駅(南側)、手前が市内線から新幹線ホーム下へ入る新設軌道。右が工事中の駅前広場。
2015年3月2日、富山駅(南側)
手前が市内線から新幹線ホーム下へ入る新設軌道。
奥が工事中の駅前広場。

黒い電車は環状線です。今は電鉄富山駅前から大学前方へ直行していますが今後は、新幹線ホーム下経由、そしてさらにはポートラム直通(ループ状の環状線でポートラムへ折り返し)となって、このルートは走らなくなるのかなと思います。

2015年3月2日、電鉄富山〜新富町、環状線。
2015年3月2日、電鉄富山〜新富町、環状線。

JRの富山駅。
特急「ひだ」号と「サンダーバード」号の並びです。
右側の高架線は新幹線かと思ったら、工事中の在来線の高架ホームでした。新幹線はさらに右奥なので、試運転列車は音だけ、でした。

2015年3月2日、富山、「サンダーバード34号」(4034M)と発車した「ひだ18号」(1038D)。
2015年3月2日、富山
「サンダーバード34号」(4034M)と発車した「ひだ18号」(1038D)。

国鉄色の「北越」号は、1056Mの6号です。新旧の車両が4本並びました。

2015年3月2日、富山、国鉄色は「北越6号」(056M)。右の683系は「しらさぎ14号」(14M)。
2015年3月2日、富山
国鉄色は「北越6号」(056M)。
右の683系は「しらさぎ14号」(14M)。

到着する「トワイライトエクスプレス」の下り列車8001レです。左手の建屋に見えるのは新幹線で、手前の高架橋は工事中の在来線のようでした。

2015年3月2日、富山、下り「トワイライトエクスプレス」8001レ。
2015年3月2日、富山、下り「トワイライトエクスプレス」8001レ。

富山駅のお土産コーナーで売っていた、北陸新幹線開業記念の昆布巻です。
店員のおばさんに何が巻かれているか尋ねたら、言いよどんでました。新幹線ですか、と冗談を言う雰囲気ではなかったものの、とりあえず、一つ購入。
食べてみたら、パッケージ写真から受ける印象とはちょっと違う、お魚嫌いな人、昆布大好きな人におすすめの逸品でした。

2015年3月2日に富山駅のお土産コーナーで購入した北陸新幹線開業記念の昆布巻き。
2015年3月2日に富山駅のお土産コーナーで購入した
北陸新幹線開業記念の昆布巻き。

新幹線開業記念パッケージの日本酒と並んで売られていました。

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2011年9月20日 (火)

通準・西武秩父ゆきが始まった11年9月20日の池袋線、ほか

2011年9月20日(火)の西武池袋線、ほか、です。

秋の行楽シーズン、通勤準急 西武秩父ゆきが再開
所沢ゆき通勤準急4801レの西武秩父延長が始まりました(所沢からは各停 西武秩父ゆき5091レ)。前の2両は小手指で解結されます。

2011年9月20日、池袋~椎名町、2459F+2089Fの通準 西武秩父ゆき(4801レ)。
2011年9月20日、池袋~椎名町
2459F+2089Fの通準 西武秩父ゆき(4801レ)。

今朝は(<-飯能)2457F+2089Fでした。夜の3107レもこの編成でした。

1301Fは5205レ、2503F+2501Fは5804レ
1301Fは5205レでした。
(<-飯能)2503F+2501Fは清瀬駅の電留線で夜間滞泊したようで、5804レに入りました。

2011年9月20日、清瀬、左が1301Fの5205レ。奥が電留線の2501F+2503F。
2011年9月20日、清瀬、左が1301Fの5205レ。
奥が電留線の2501F+2503F。

19時半すぎの小手指車両基地入り口に301系がいた感じでした。平日ナイターダイヤですから、1301Fが運用入りするのかもしれません。

朝の狭山線はN101系2本
朝の狭山線は、始発から1241Fが担当していたようです。6108レが1241Fでした。
一方 6109レから入ってきたのは(<-西武球場前)281F+285Fでした。

2011年9月20日、西所沢、285F+281Fの6109レ。
2011年9月20日、西所沢、285F+281Fの6109レ。

19時半すぎの小手指車両基地入り口には281F+285Fがいた感じでした。


JR北海道の社長が自殺
ディーゼル特急の脱線炎上など、不祥事が続いていたJR北海道の社長・中島 尚俊氏(64歳)の遺体が小樽市沖で9月18日に発見され、自殺したと見られています。
東大卒業後、1969年に国鉄に入り、2007年から社長を務めていました。
9月16日に、中島社長が国土交通省へ事業改善報告書を提出する予定があったそうですが、12日朝から行方不明となっていました。
惜しむ声も報道されています(リンク先は毎日新聞の記事)が、社長の職責を果たしたとは言えないと、私は思います。
運転士が居眠りしたら乗客が客室内から起こしてあげるなど、乗客との良好な関係構築ができないことに絶望を感じたのかどうなのか?
野次馬にはいろいろな妄想が浮かぶタイミングでの自殺です。

技術の未熟な運転士が引き起こしたことになっている尼崎脱線事故のJR西日本で、社風形成に多大な影響があったと言われる井手 正敬氏は、相変わらずお元気なんでしょうね。
横綱審議委員で総額いかほどもらったのか。
道徳教育が必要です。

(9月21日18時20分 中島氏に“氏”を挿入。失礼致しました。)

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2011年2月 5日 (土)

2011年2月上旬、西武以外の身近な鉄道の話題をまとめて

オレンジ色と黄色の都電荒川線8800形
2011年2月4日(金)の朝、都電荒川線の8800形のうちオレンジ色の8809と黄色の8810を見ることができました。
この2両もパンタグラフの位置が逆でした。

2011年2月4日、学習院下~面影橋、オレンジ色の8809の早稲田ゆき。
2011年2月4日、学習院下~面影橋、オレンジ色の8809の早稲田ゆき。
2011年2月4日、学習院下~面影橋、黄色の8810の三ノ輪橋ゆき。
2011年2月4日、学習院下~面影橋、黄色の8810の三ノ輪橋ゆき。

荒川車庫は早稲田方と三ノ輪橋方の両方から入ることができるので、入った方から出ないと自然と車両の向きが反転してしまうわけですね。

高田馬場駅11時ころの貨物列車
2月5日(土)の11時3分頃、EF65-1072牽引のコンテナ貨物列車が高田馬場駅の山手貨物線を田端方向へ通過しました。2010年3月改正ダイヤでは2077レにあたる列車です。
2010年12月5日のJR東日本 ダイヤ改正で通過時刻が10分ほど遅くなりました。ダイヤ改正直後の1回だけEF210の牽引でしたが、例外だったようです。

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2011年2月5日 11時3分頃、高田馬場、EF65-1072牽引の北行 コンテナ貨物列車。

なお10時23分頃に通過する単機回送やその前の特急車の回送は、12月5日のダイヤ改正後は見かけません。最近はチェックしていませんが。

週刊金曜日の鉄道関係記事2本
どちらかというと左翼系の『週刊金曜日』に最近、鉄道関係の記事が二つありました。

1本目は、1月28日号の、JR西日本社内でのレイプ事件のお話。
2007年11月に、社員旅行の帰りに、契約社員の女性を上司の男性がホテルに連れ込み性的関係を強要した、というもの。被害者は脳性まひ・障害1級の重度障碍者。障害者雇用促進法によって同社が2006年に、1年単位の契約社員として採用したそうです。
加害男性は、事件後「しゃべったら次の契約はないぞ」と口止めし、関係の継続を強要したということです。
被害者は同社のセクハラ相談室に相談したものの、性暴力はなかったと結論されるとともに、職場で組織的なイジメも始まったとのこと。
神戸地方裁判所 龍野支部が2010年6月に性暴力はなかったと判決したため、被害者は大阪高裁へ控訴したそうです。
JR東日本でも契約社員の募集をたまにしています。駅員などに採用しているようですね。

2本目は、2月4日号のロンドンの鉄道のお話。
割引率が高いオイスター・カードというプリペイドカードが好評で、乗客の8割以上が利用しているそうですが、乗車駅と下車駅の両方で正しくカードリーダーに通さないと全区間分の運賃が罰金としてカードから引き落とされるそうです。
この罰金を2010年に支払った人は年間 延べ1300万人、罰金総額は5600万ポンド(約73億円)にのぼったそうです。ちなみに、西武鉄道の2009年度の売上高は約1700億円です。
ロンドンでは、改札ゲートがない駅や、夜間はゲートを開放している駅もあるということで、「物理的遮蔽物を強化して違反を防ぐのではなく、違反行為を『誘発』して罰金収入を増やす。それが英国流なのか。」と記事はしています。
このような信用乗車方式はヨーロッパでは一般的で、日本でも、路面電車に導入すれば表定速度を向上できると憧れているファン・関係者は多いと思います。「英国流なのか。」という批判に苦笑を禁じ得ない方も多いとは思います。
記事はイギリスの夕刊紙「イブニング・スタンダード」の1月7日付けの記事を元に、「英国在住活動家」さんが執筆されたものです。
Googleで検索したところ、2005年11月から2007年12月の2年間の罰金総額は3300万ポンドという記事もありました。当局は、このうち1800万ポンドが正規に支払われた場合の運賃にあたり、罰金としての徴収は1400万ポンドほどと見積もっているようです。
Googleで「"Oyster Card" penalty」で検索すると、結構あります(約31万件)。

ということで、2本目の記事は、事実の評価に「左翼的」な偏りがある感じはありますが、記載の数字は事実なのだと思います。
ということで、1本目の記事についても、嘘はないのでしょう。セクハラはJR西日本に限らずあることではありますし。

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2009年12月 9日 (水)

ATS-Pなし急カーブは多くとも「日勤教育」はJR西日本だけでは?

2回に渡りJR西日本の福知山線列車脱線事故の経営幹部の責任を考えて来ましたが、2回目の「山崎氏の判断が完璧でなかったからあのような重大事故が発生」はちょっと厳しいかな、と思っておりました。
完璧な人などいませんから。

ATS-Pなどない時代から鉄道の急カーブは少なくなく、高速運転の路線もありました。京急に乗っていると、高速で急カーブに突っ込んでいくのでこちらが怖くなるほどです。しかし、速度超過が原因の事故はわずかです。
強いて言えば、1996年の函館本線の貨物列車脱線事故でしょうか。時速60km制限のカーブに時速120km近い速度で進入し、貨車がすべて脱線し斜面から落ちた、という事故です。旅客列車ならば福知山線事故を上回る死傷者が出たことでしょう。
死傷者が出なかったからでしょう、福知山線の列車脱線事故の時とは異なり、急カーブ区間に速度照査機能のある保安装置の設置を国が鉄道各社に求める、という事態にはなりませんでした。
神戸地方検察庁によると、当時 JR西日本の社長だった井手 正敬氏も、この事故を大して気にも止めなかったようです。
それとも、JR貨物の事故だったから? 「だってあそこ、三流だよ」とか?

閑話休題。
ウィキペディアの「日本の鉄道事故(1950年から1999年)」によると、函館本線で貨物列車が3回、急カーブを高速で通過しての脱線しています。1回目は飲酒運転の居眠り、2回目と3回目は夜明け前の眠たくなる時間帯の居眠りです。脱線箇所も近くです。線路条件が特殊なのでしょう。
これ以外、戦後にこのような事故は発生していないようです。しかしJR西日本の福知山線で発生しました。

JR西日本の特殊要因が疑われますが、思い浮かぶのがJR西日本の「日勤教育」です。
ミスをした運転士に作文書かせたり草取りさせたり、だったと記憶しています。
わざとミスした人には効果的ですね、おそらく。
しかし、運転技術が稚拙な人が、作文や草取りで上達するとは思えません。運転技術を指導できるベテランがいなかったのか、またはそのようなベテランに適切な指導をさせていなかったわけです。

JRの発足時、思想(所属労組)による採用差別をしています。JRになってからも昇進などで差別しています。
優秀な人材が指導に当たる体制をとれなかったのか、とらなかったのか?。

JR福知山線の列車脱線事故は、ATS-Pが設置されているか、または、JR西日本の社内体制が適切であれば発生しませんでした。
そして神戸地方検察庁はATS-Pだけに注目しました。

ATS-Pがあっても、レールがずれていたり、ボルトが緩んでいれば列車は脱線します。
JR西日本は社内風土の改革を標榜しているようですが、「患部」を見誤っていては心許(もと)ない。

(12月9日 22時追記)
JR西日本は井出氏との絶縁を宣言しました。ご本人は馬耳東風のようですが、JR西日本は変わりつつあるのかもしれません。
神戸地検は患部(と幹部)を見誤ったまま終わりとなるようです。わざと、かもしれませんね。いわゆる「国策捜査」。
組合差別については、JR貨物が、差別していた国労と和解したとの報道が以前にありました。JR西日本については知りません。


(1回目)「尼崎事故でJR西日本の歴代社長に責任なし? 捜査機関はあなたですよ、地検さん
(2回目)「そこまで言うなら、JR西・山崎鉄道事業本部長(当時)も赦してあげない?

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2009年12月 8日 (火)

そこまで言うなら、JR西・山崎鉄道事業本部長(当時)も赦してあげない?

(12月9日20時10分)タイトルの「許し」を「赦し」に修正しました。

JR西日本・福知山線列車脱線事故で唯一刑事責任を問われているのが山崎 正夫氏です。
鉄道事業本部長時代、事故現場を急カーブへ変更したにも関わらず速度照査機能があるATS-Pの設置を見送ったことが起訴の理由です。

事故を契機に、速度制限のある区間に速度照査機能を持った保安装置の設置が進みましたが、逆に言えば、事故現場と同様な危険性を山崎氏と同様に放置していた責任者は少なくなかった訳です。
また山崎氏は、福知山線以外の他線区でのATS-P設置を優先させた訳ですが、これにより、他線区での重大事故発生が防止されていたのかもしれません。福知山線を優先させていたら、例えば、東海道線で三重衝突事故が発生していた、かも、しれない、ということですね。

事故調査委員会の情報漏洩など、山崎氏の人格が高潔とは言えませんが、それほど極悪非道でしょうか?
起訴を免れている歴代社長3名に比べて、彼の責任がより重大とは私は思いません。

事故直前、乗客が遅れの苦情を車掌に言い募っていた、その対応で車掌は忙しかった、との報道もありました。事故後、JR西日本職員への暴行・暴言が多発したとも言われています。
感情的な大衆の批判に迎合した神戸地検が、「具体的な証拠」を簡単に得られる山崎氏をスケープゴートにしたと、私には見えます。

なお山崎氏の判断が完璧でなかったからあのような重大事故が発生しました。
その責任は歴代の社長3名と同様に重く、刑事責任を問われて当然と私は思います。歴代社長3名の刑事責任追求は、検察のお仕事であります。地検にこそ日勤教育が必要です。

あのような重大事故の刑事責任が社長に及ばないのであれば、JR西日本が鉄道事業でいかなる素晴らしい業績をあげようともその責任はすべて鉄道事業本部長に帰するはずです。
社長は道義的責任を負うだけ、となるのでしょう。役員賞与のアップはなし、ですね、当然。

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2009年12月 7日 (月)

尼崎事故でJR西日本の歴代社長に責任なし? 捜査機関はあなたですよ、地検さん

2005年4月のJR福知山線列車脱線事故について、神戸地方検察庁は2009年12月4日、JR西日本の歴代の社長3名を嫌疑不十分で不起訴としました。
業務上過失致死死傷罪で神戸第一検察審査会は起訴相当としたため、神戸地検は1ヶ月半かけて再捜査し、3名からも事情を聴いた結果、とのことです。

4日の発表で会見した山根 英嗣・次席検事は「歴代社長3人に法廷で話してほしいという遺族らの気持ちはわかる。だが、検察は『起訴=有罪』という意気込みで処分を決め、信頼を得てきた」と話したそうです。朝日新聞(12月5日・朝刊)によると、具体的な証拠がないと刑事責任は問えない、との判断なようです。

不起訴と読んで怒りを感じていた私も、検事さんにそう言われると、そうなのか、検事さんも色々 大変なんだな、と思ったりしてしまいます。

乗務員は色々と手当がある、事故を起こした若い運転士は、運転業務から外され手当が減るのを嫌って事故直前のミスを気にしていた、という報道もありました。
JR西日本では、乗務員でなければ人でない、というほど駅員さんなどの待遇が悪いのかな、と思ったりもしました。
事故列車の車掌は40歳台だったと思います。中堅のはずです。ミス連発の後輩を適切に指導することはできませんでした。
二人が所属する労働組合が異なっていたようでもあります。映画『沈まぬ太陽』で日航が話題になりましたが、労組の内ゲバ騒ぎのあった国鉄、その後進のJRがこの面で負けているとはとても思えません。
日勤教育もありました。
そのような訳ですので、「具体的な証拠」を遺族に要求したりせず、自分たちで見つけなさいね、と私は山根 英嗣氏に教え諭(さと)してあげたい、と思い直した次第です。

あれだけの大事故を起こした企業の社長に責任がないならば、社長のお仕事は何でしょうか?
また1996年12月の函館線脱線事故の原因が制限速度を超過して急カーブを通過しようとしたこと、と社長が知り得なかったことも不起訴の理由となっています。以前も書きましたが、おかしな話です。
それから、事故の遺族は話を聞きたいだけではなくて、3名に罪を償ってほしいのだと私は思います。

今回不起訴となった3名は次の通りです。

井手 正敬(まさたか)氏
事故現場のカーブを急カーブに変更する工事の時の社長。
南谷 昌二郎氏
井出氏の後任の社長。
垣内 剛(たけし)氏
事故当時の社長。

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2009年9月27日 (日)

尼崎脱線事故で井手・JR西日本元会長不起訴は政治的配慮?

2005年4月25日にJR西日本 福知山線の尼崎~塚口間で列車が脱線し107名が死亡した事故の調査で、JR西日本の山崎 正夫氏が、国土交通省の航空・鉄道事故調査委員会の山口 浩一・元委員に、JR西日本に有利な調査報告となるよう働きかけていたと明らかになりました。
働きかけは2006年5月から数回あったようですが、2007年6月28日公表の調査報告書に影響はなかった、とされています。

事故当時の社長は、2003年4月就任の垣内 剛氏です。
話題の山崎 正夫氏は1998年6月からジェイアール西日本メンテック代表取締役副社長、1999年6月に同社代表取締役社長、2005年6月 JR西日本代表取締役社長兼執行役員と、2006年6月27日提出の第19期有価証券報告書にあります(尼崎の脱線事故は第19期に発生)。事故当時、山崎氏はJR西日本にいなかったような感じを受けますが、ウィキペディアによると2002年6月からJR西日本の代表取締役副社長兼総合企画本部長だったようです。
悪名高い井手 正敬氏は、2003年にJR西日本 取締役相談役に就いていたようですが、脱線事故の責任をとって2006年6月に退任したためか、第19期有価証券報告書からは消えています。

刑事裁判で神戸地方検察庁は、事故現場の曲線をきつくしたJR東西線(1997年3月8日開業、京橋~尼崎)乗り入れ工事で、速度照査機能を持つATS-Pの導入を見送った経緯に注目したようです。
意思決定の経緯を調査し、当時の鉄道本部長(1996年6月就任)だった山崎氏を在宅起訴しています。井出氏は1992年 代表取締役社長、1997年 取締役会長就任です。

工事の当時、井手氏は社長でした。しかし1996年に起きた函館本線の貨物列車脱線事故(居眠りによる速度超過)の報告を受けていなかった、という理由で神戸地検察庁は井手氏を不起訴としています。

おかしな話です。

1996年の函館本線の貨物列車脱線事故で、事故現場は数日間不通となり、JR北海道は代行バスを運行しましたし、JR貨物は10億円ほどの損害を受けています。
同業他社の大事故を、JR西日本の社長が知らなかったのでしょうか?
そして、事故原因にまったく興味を持たなかったのでしょうか?

企業統治?、内部統制??、コーポレートガバナンス???

井手氏は、JR東日本の松田 昌士氏、JR東海の葛西 敬之氏とともに「国鉄改革3人組」と呼ばれ、労働組合が強かった国鉄の分割民営化(労組の弱体化)に大いに尽力されました。
政治的配慮から、井手氏の起訴が見送られたと思われても仕方がありません。
事故調査委員会に、組織的に働き掛けたとも見えるJR西日本のモラル欠如はこのようなところに原因があるのかもしれません。

井手氏は人間として何をなすべきでしょうか?

またATS-Pの有無に関わらず、日勤教育など、とうてい合理的と思われない社員教育がJR西日本では行われていました。
日勤教育の是非を譲るとしても、自社の運転士が大事故を起こしたことは事実です。
事故の運転士は何度もオーバーランしていました。誰かが交代させるべきだったと、私は思います。
しかし、そのような仕組みや環境はなかったのでしょう。
経営陣の怠慢です。
その責任がなぜ問われないのか、不可解です。

企業統治?、内部統制??、コーポレートガバナンス???
株主様のためだけのもの?

<2009年9月27日21時35分追記>
ついヒートアップして、資本主義を批判する文を綴ってしまいましたが、人殺しをするのも人間ならば、人助けをするのも人間。
不完全な資本主義社会ですが、成長を暖かく見守りたいと思います。粉飾決算がなくなるだけでも、資本主義にとっては大きな、とてつもない前進なんです、きっと。(粉飾決算ゼロは、多くの普通の人には当たり前、とは思いつつ。)
とは言うものの、犠牲者は最小限に止めるべきで、信賞必罰は当然のことであります。
なお選挙だったか、日本共産党のビラを配っているおじいさんに、共産主義社会はいつ実現するのですかと尋ねたら、200年後くらいじゃない、とのことでした。念のため。

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2009年8月 1日 (土)

西武・所沢駅前でJR西日本を目撃しちょっとビックリでした

2009年8月1日(土)の7時20分頃に、西武線・所沢駅東口の駅前広場に西日本JRバスの車両が止まっていました。

2009年8月1日、所沢駅東口駅前、西日本JRバスが見えます。
2009年8月1日、所沢駅東口駅前、西日本JRバスが見えます。

西武所沢駅バス停が7時5分の、「京阪神ドリームさいたま号」と思われます。ダブルデッカーのバスでの運転が所定なようです。この写真は続行便かも知れません。
西武新宿線・高田馬場~下落合間の新目白通り沿いの踏切で電車を撮影していると、たまに金沢駅ゆきの西日本JRバスが通ります。

西日本JRバスは、JR西日本の子会社です。
尼崎脱線事故後の地方支社幹部の発言(越美北線の災害復旧は尼崎事故の被害者補償で難しいという内容)でJR西日本には嫌悪感を持っていますが、バスたちに旅情は誘われます。
鉄道ピクトリアル誌に辛口の記事を多く書かれていた曽根悟・元東大教授が尼崎事故の後でJR西日本の社外取締役となられました。JR西日本 ウェッブサイトの役員一覧にお名前がありませんが、"社外"取締役だからかな、と思ったら、"曾根 悟"というお名前がありました。工学院大学の教授紹介のページは「曽根」となっております。
「役員一覧」ページはシフトJISコードです。"曽"は0x915D、"曾"は0x915Cと明確にコード番号が異なりますので、単なるタイポのようですが、西武グループが役員の人権を企業倫理規範で明記したのはこういったこともあるのでしょうか?
JR西日本は、御用組合が大多数を占め、会社に批判精神を持っている人は少ないはず、なのですが、...。

2009年8月1日17時45分頃、http://www.westjr.co.jp/company/info/officer.html の画面キャプチャ
2009年8月1日17時45分頃、http://www.westjr.co.jp/company/info/officer.html の画面キャプチャ

駅前のコンビニに、秩父線開通40周年記念ハイキングの昼食を買いに出ただけなのに、思わぬところに話が飛んでしまいました。ちなみに西吾野駅で霧雨が降っていたので、ハイキングには参加しませんでした。

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