09年8月13日もいろいろあった西武線
N2000系4+6連が10両固定編成運用を代走
2009年8月13日(木)は西武新宿線の2610レ(本川越 6時23分発・急行 西武新宿ゆき)が(<-西武新宿)2523F+2045Fでした。いつもは10両固定編成の列車です。
2610レに入っていた編成はいつも、お昼に3308レ(拝島 11時40分発・快速 西武新宿ゆき)で再び見るのですが、2523F+2045Fも例外ではなく3308レに入っていました。
なお新宿線のN101系10連ですが、朝はいつもの2604レが(<-西武新宿)1311F+281F、4806レが(同)1309F+285F、夕方は2812レが(同)1309F+285Fで、いつもと変わらず、でした。
また6時20分ころの所沢駅・新宿線 上り回送列車は(同)1249F+277Fでした。
昨日 朝に見た(同)1251F+1253F+295Fは見かけませんでした。
午後の人身事故で夕方の池袋線のダイヤが乱れる
8月13日は15時28分頃に池袋線 清瀬駅で人身事故があったそうで、夕方は池袋線と地下鉄線との直通運転が20時ころまで中止となり、10分前後の遅れで走っていました。
私は18時20分頃に西武池袋駅へ着きました。さすがに地下鉄直通車両が西武・池袋に入ってくることはなく、駅側の電留線もすでに空でした。大した乱れでないのだろう、と感じたのですが、...。
とりあえず4分遅れで18時24分に発車した各停(5683レ)で練馬駅へ。
途中、上り列車にはそれなりにすれ違っていました。しかし18時37分に練馬駅へ着いたところ、上り列車はなかなか姿を現しません。18時47分に9108Fの急行が通過したものの、結局 乗車可能な最初の上り列車は18時57分着の準急 池袋ゆきでした(9103F)。列車の表示は準急でしたが緩行線を走ってきましたので、石神井公園から各駅に停車して来たと思われます。それまで上り列車とすれ違っていたので、夕方の練馬駅で20分以上 列車がない、というのは驚きでした。
なおその次の上り列車は快速 池袋ゆき((<-飯能)2465F+2069F)で18時59分着、最初の各停(20151F)は中村橋から19時3分の到着でした。事故発生から3時間以上 経っているのに、各停が30分もないとは。
練馬駅を18時40分頃着の準急 小手指ゆきは3005Fでした。4233レと思われます。3005Fは18時22分、池袋駅7番ホームに回送で到着していました。
18時46分に到着した2065Fは、豊島園からの上り列車を待ち合わせての発車と駅は案内放送していました。上りホームの発車案内は、先発が準急、次発が快速で、準急はまだ石神井公園と放送していましたので、いったいいつになったら発車できるのか、下り列車が詰まってしまうぞとやきもきしていたら、18時52分に、他の列車の到着のないままに豊島園へ発車して行きました。
18時54分に到着の(<-飯能)2463F+2083Fの通勤準急 所沢ゆき(4807レ?)は、練馬から各駅停車と放送されていました。
いつもは18時50分頃に2166レが通過するとすぐに、保谷駅電留線から出てきたN101系10連の上り回送列車が通過しますが、本日は、2166レに当たる列車は見かけず、(<-飯能)271F+1239F+1241Fの上り回送列車が19時4分に急行線に到着。3番ホームの各停 池袋ゆきの発車を待って、19時7分に急行線から発車して行きました。
271FほかのN101系10連は、通常と同様に4869レと思われる列車に入っていましたが、本日は準急でした。その前を走る、地下鉄から直通の4609レが運休でしたので、その救済でしょうか。練馬駅19時32分発、ひばりが丘駅19時45分着でした。10分弱の遅れです。
なお19時41分頃に大泉学園~保谷間ですれ違った上り快速列車がN101系10連な感じでした。
19時43分頃の保谷駅電留線は、3番線に6000系(副都心線対応)、4番線にメトロ7000系(副都心線用8連?)が止まっていました。
19時45分のひばりが丘駅4番ホームには、メトロ10010Fの準急 新木場ゆきが止まっていました。この列車、発車しようとしてドアを閉じたけど、発車するのは中止、ドアを再び開ける、と言った風情で、挙動不審でした。
秋津駅で19時50分にすれ違った上り急行列車は3000系ぽかったです。
所沢駅を20時8分に発車した準急 飯能ゆきは2071Fだけの8両編成でした。後部運転台の列車番号設定器(?)は「ジュンキュウ / ハンノウ / 3113」という表示でした。3113レは、池袋19時23分発の快速 飯能ゆきで、所沢駅19時55分発が所定です。
20時15分すぎの狭山ヶ丘駅電留線には9000系(9103F?)がすでに留置されていました。
山手線・高田馬場駅でも夕方に人身事故
18時すぎに山手線 高田馬場駅へ行くと、駅前にはパトカーや消防車・救急車など、計10台くらいが止まっていました。外回りで人身事故があった、とのこと。
事故(事件?)に遭遇したのはクハE230-523の編成だったようです。17時45分頃、とのこと。
この列車は18時12分に高田馬場駅を発車、目白駅までは徐行でしたが、あとは通常の速度で走っていました。池袋駅着は18時16分でした。
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コメント
はじめまして。
最近人身事故で多すぎません?
この間の日曜日も東武本線と東武東上線で人身事故があってダイヤが乱れたりして・・・
最近立て続けに多いですよね!
投稿: ねっち | 2009年8月13日 (木) 22時56分
西武線だけでも事故発生直後で、遺体がまだ線路脇に移動させた状態というのをおよそ40年の間にずいぶん見ました。詳しくはこれもまた追って紹介しますが、ただ最近急に増えたことは実感しています。
投稿: 縁有外史 | 2009年8月14日 (金) 10時19分
こんにちは、
私も昨日引っかかりました。しかし15時30分くらいの事故で、21時過ぎまでダイヤ乱れるとは・・・。
甘く見ていました。池袋に所要があったので久しぶりに池袋から乗車しました。お盆で車内はすいていたので、苦にはなりませんでした。
今朝の国分寺線の送り込み回送は(所沢6時23分ごろ通過)、N101系の前パンスカート付きでした。なんかイカツイ感じがしました。
投稿: アップトリム | 2009年8月14日 (金) 12時59分
当日清瀬駅にいた者です。
隣のホームにいたのですが、ニューレッドアローが警笛をやたらと長く押すのでうるさいなと思っていたら停車。ずっと停車しているので何かと思っていたら、人をはねたようでした。
その内警察がきてシートで隠しと・・・
見に行くのが怖かったのでずっと隣のホームにいましたが。
事故があったその場に居合わせたのが初めてだったのでびっくりしました。
投稿: | 2009年8月14日 (金) 18時20分
みなさま、こんばんは。コメントありがとうございます。
NRAが事故列車ならば、28レ(ちちぶ28号)が該当しそうですね。
> 名無しの権兵衛様
14日は、地下鉄直通の再開は遅かったですが、その他の列車の遅れは10分ほどですし、それほどひどい、という感じではありませんでした。8連の優等列車が多かったですが、お盆でお客さんが少なかったからではないか、と勘ぐっております。19時前の練馬駅の上り列車の運転状況は驚きでしたが、ホームに乗客は少なかったです。ただ練馬駅の駅員さん、事故の発生時刻を17時30分と言ったり、情報が錯綜しているようでもありました。私の知らない、別の事故・トラブルがあったのかもしれません。
> アップトリムさん
人身事故は一旦 始まると、しばらく続くというお話もあるようです。
> ねっちさん
豪快な時代があったのですね。戦争直後は、遺体はそれほど珍しくなかったのかもしれませんが。
> 縁有外史さん
お相手する運転士さんも大変ですし、関係者一同 やり切れません。鉄道自殺は止めていただきたいものです。
投稿: 鈴木やす | 2009年8月14日 (金) 22時54分
●雑記
「玉川上水車両基地」
ちょっと昔の話と並行して、西武やその周辺に関する雑記を綴らせて頂こうと思います。
玉川上水駅に付随する車両基地は歴史が浅いわけですが、もともとは米軍の大和基地というのがあった土地です。が、さらにその前は西武の土地で、占領した米軍が一方的に接収したという経緯があります。
この基地は今は返還されて昭和記念公園となった米軍立川基地のおまけのようなもので、基地関係者の住宅やハイスクール、ヘリコプター基地などがありました。実際に使われたのは短期間で、私がこちらに越してきて最初に見た1970年当時にはほとんど廃墟といった感じでした。そしてほどなくして返還されたものの、国と都、東大和市、それに西武鉄道それぞれが跡地の領有をめぐって紛糾しました。が、このうち西武についてはもともと拝島線ぞいの土地を持っていたことが認められて返還、残りを三者で分けることになりました。これについても激しい攻防があったのですが、それはここでは話が外れるので省略します。
西武という会社は早くから鉄道用地を確保するのに熱心なようで、単線で開業させても必ず複線分の土地を確保しており、さらには具体的な用途は決めないまま線路ぞいのめぼしい土地を購入しておくことも古い時代にはよくやったようで、その一例がもともと戦前に工場の貨物輸送線として発足した小川-玉川上水間の路線ぞいの土地です。
この車両基地はかなり幅が狭く窮屈で、所属する車両数は当然多くありません。が、前述のように保線区も付随しており、工事用車両も見られます。
車窓からもよく見えますが、玉川上水から分水した野火止用水が拝島線に沿っていて、車両基地の横はずっと暗渠にして遊歩道となっているため、ここから間近に車両たちを眺めることもできます。(鉄道雑誌やサイトの画像ではここから撮られたものもよく見ます)
投稿: 縁有外史 | 2009年8月15日 (土) 06時16分
僕は13日京葉線を撮影し、代々木へ寄ろうとしたとき、新木場駅では西武池袋線遅れの表示で困惑していました。各停和光市行き(6105F)と次の列車が各停清瀬行き(ライオンズクラシック号のHMつけた6115F)の列車が有楽町線池袋止まりに。僕が有楽町線に乗車したときは池袋線直通中止の状態でした。
そして四ツ谷に着いた時にはもう一つ目を疑う出来事が。山手線外回り運転見合せ。代々木からは山手線は使わず、大江戸線で中井から歩きました。
投稿: 6000系大好き | 2009年8月16日 (日) 21時53分
縁有外史さん、こんばんは。
興味深いお話、ありがとうございます。
戦争直後はいろいろあったのでしょうね。数年前の西武鉄道の有価証券報告書虚偽記載など、カワイイ方でしょうか?
投稿: 鈴木やす | 2009年8月16日 (日) 22時36分
6000系大好きさん、こんばんは。
お盆だというのに自殺まであるようで、困ったものですね。とは言うものの、昨日・今日はさすがに街が静かな気はしますが。
ところで、有楽町線の池袋どまりとなった西武車両はどこへ行くのか気になります。折り返し新木場ゆきでしょうか?
投稿: 鈴木やす | 2009年8月16日 (日) 22時39分