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2009年10月19日 (月)

09年10月19日の西武線、色々ありました

2009年10月19日(月)の西武線はいつもと違う車種での列車が多く見られました。


通勤急行がN2000系(2000系)2+4+4連


10月19日(月)の2802レ(新所沢 5時40分発・急行 西武新宿ゆき)は(<-西武新宿)2405F+2537F+2533Fでした。いつものようにこの編成が2本目の通勤急行 2754レ(本川越 7時35分発)でした。



2009年10月19日、高田馬場~下落合、2405F+2537F+2533Fの通勤急行 2754レ。


2009年10月19日、高田馬場~下落合、2405F+2537F+2533Fの通勤急行 2754レ。


6111Fが副都心線対応となって運用復帰


10月19日の6704レ(小手指 6時4分発・各停 渋谷ゆき)が6111Fでした。副都心線対応工事が終わり、10月15日(木)に玉川上水車両基地から出場していたようです。

車内の側ドア鴨居の案内表示は、従来の三色LED横スクロールから変化なしでした。



2009年10月19日、所沢、6111Fの6704レ。


2009年10月19日、所沢、6111Fの6704レ。


夜の西武新宿線にN101系10連が2本


平日夜の西武新宿線にはN101系10連はいつもは1本だけなようですが、10月19日は2677レ(西武新宿 19時10分発・急行 本川越ゆき)が(<-西武新宿)1309F+285Fでした。朝は2604レ(本川越 5時33分発・急行 西武新宿ゆき)に入っていた編成です。

いつもの4644レ(本川越 19時22分発・準急 西武新宿ゆき)は(<-西武新宿)1311F+277Fでした。朝は4806レ(新所沢 6時35分発・準急 西武新宿ゆき)でした。



2009年10月19日、所沢、1309F+285Fの2677レ。


2009年10月19日、所沢、1309F+285Fの2677レ。


西武園線の線内折り返しがN101系だった模様


所沢駅を6時42分ころに通過する新宿線 上り回送列車がN101系4連の1251Fでした。西武園線の線内折り返し運用に入ったと思われます。

いつもはN2000系4両固定編成です。



2009年10月19日 6時42分頃、所沢、1251Fの新宿線・上り回送列車。


2009年10月19日 6時42分頃、所沢、1251Fの新宿線・上り回送列車。

右横の20000系は、4番ホームから発車した池袋線の上り回送列車の20151F。


6時21分ころに所沢駅を通過する上り回送列車も、(<-西武新宿)295F+1249FとN101系2+4漣でした。

こちらはいつもは2000系またはN2000系6両固定編成の列車です。国分寺線用の車両の送り込みです。



2009年10月19日 6時21分頃、所沢、295F+1249Fの新宿線・上り回送列車。


2009年10月19日 6時21分頃、所沢、295F+1249Fの新宿線・上り回送列車。


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コメント

車両故障の記録[3]
1956年9月21日 10時53分
場所 青梅線沢井駅
編成 ←11204-16403
電車 911(青梅区)
   甲修 31,5,23
   局部 31,9,6
   交検 31,9,18
状況
 この電車二俣尾駅定発の際、起動不能となったので、リセットを使用前後進を試みたが、逆転器の転換音は感知されるも起動せず、関係個所を取調べたが異状を認められず、不明のまま起動可能となったので同駅7分延発、その後途中並列ノッチ時に惰行となり再度取調べ不明の中起動可能となり、軍畑駅10分延着、同駅で発車不能を繰り返し18分延発、(電車区へこの旨連絡)沢井駅でまたまた起動不能を繰り返したので、前途打ち切り後刻検査掛の到着取調べを待って青梅区へ回送した。
原因
 制御及び戸閉用空気溜と給気弁との間にある逆止弁が一時的に不具合となり給気不良となったもの。これは弁下部の革パッキンが磨滅亀裂し脱落したため弁の下面がブシュに直接当り、しかもブシュは角がとってあるのでこれにはまり込んだため。

 状況を見ていると、パソコンの起動トラブルを連想してしまいます。
 この「車両故障の記録」はまだたくさんありますが、ひとまず連載はここまでとし、ご要望もありますので西武の歴史に戻ります。故障の記録は次回からは単発で時々さしはさむことにします。
 なお、西武の歴史は、よく知られたものについてはごく簡単にとどめ、あまり紹介されていないものを引き続き詳しく取り上げることにします。

投稿: 縁有外史 | 2009年10月20日 (火) 18時30分

国分寺線の話[1]

 今回より国分寺線について見てゆきます。
 成り立ちと変遷については、以下に掲げるウィキペディアの解説が基本的であり、ここでは引用しませんが、年表も参考になります。

[引用始め]
国分寺線は、西武鉄道で最も歴史の古い路線であり、1894年に川越鉄道が敷設した路線である。当初は、国分寺駅 - 川越駅(現在の本川越駅)間が本線であった。なお、川越鉄道は甲武鉄道の子会社であったため、現在の中央本線と直通する飯田町駅 - 川越駅(国分寺駅経由)間運転の列車も設定されていた。1927年に東村山駅 -高田馬場駅間(現在の新宿線)が開業すると国分寺駅 - 東村山駅間は分離され支線となり、現在の形態となった。
[引用終わり]

 しかし、これだけでは承知しないのがファンであり、当然、いろいろと調べてみるわけです。が、多くの本や解説類はだいたいは同じものを引き写ししており、抜けている重要なことはなかなか気がつかないものです。
 余談ですが、鉄道のことだから鉄道関係の文献、というのは、車両については良いのですが、鉄道一般となると地理や地方自治、郷土史そのほかいろいろなものとかかわっており、全然鉄道と関係がない資料に意外と重要なことが記録されているものです。先日の多摩湖線の成り立ち、そしてこれから紹介する国分寺線の成り立ちや臨時貨物駅の話も、鉄道以外の組織、全然畑違いの人が出した本や記録に多く散見しているものを私が一つにまとめたものです。

 さて、国分寺線ですが、現西武鉄道において最古の路線であることは上記解説のとおりですが、首都圏の私鉄の中でも京急大師線に次いで誕生したとても古い路線です。
 1894年、甲武鉄道国分寺駅から川越を結ぶ川越鉄道が開業しました。川越は埼玉の重要な都市ですが、日本鉄道に成る高崎線や東北本線のルートから外れて孤立したため、東京と連絡する新たな幹線の設置が求められ、川越鉄道がそれに応じたものです。
 鉄道はある地点Aとある地点Bを結ぶものですが、起点はともかく、なぜ遠方にあるB地点を結んだか、ということは注意を払ったほうがよいわけで、川越鉄道は東京と孤立した埼玉中部を直結するのが目的でした。
 都心と川越を結ぶなら、東武東上線(東上鉄道)のルートこそが最短にして無駄のないものですが、いきなりそうならずに国分寺経由とまわりくどいルートになったのは、所沢も経由させたいということや、既存の甲武鉄道の都心区間に乗り入れさせる形をとれば安上がりで便利、といったことから決まりました。 つづく

投稿: 縁有外史 | 2009年10月21日 (水) 18時55分

縁有外史さん、こんばんは。

最近はそうでもなくなりましたが、以前の
電車は圧縮空気が重要なデバイスでしたね。

投稿: 鈴木やす | 2009年10月23日 (金) 22時42分

管理人さんこんにちは、
昨日の新宿線ですが本川越行き最終電車が、鷺ノ宮駅でお客様トラブルで遅れていました。
私は先行の上石神井止まりの各停で上石神井にいました。週末でしかも世間は給料日。最終などとても混雑するだろうと思い上石神井まで先行して本川越行きを待っておりました。

この列車は小平で拝島行き、所沢で飯能行き最終に接続列車です。なんだかんだで、鷺ノ宮を15分ほど遅れで発車したみたいです。拝島行きは小平始発なので接続するだろうが、飯能行きは池袋発、所沢で15分近くも待っているのだろうか?車内放送では接続します。と言っていました。

所沢に17分送れで到着しました。ですが5番ホームには電車が停まっていませんでした。でも、駅の放送では「飯能行き最終電車ご利用の方5番ホームへ・・・」と案内していました。ありゃ?池袋線も遅れているのかと思っていたら、すぐに入線してきました。入線してきた車両はN2000系の8連(2063F幕車)でした。そうです普段小手指どまりの各停でした。
臨時に延長運転なのですね。小手指到着も所定の3番ホームでした車内放送で「本日に限り飯能まで延長運転します。」と言っていました。

それにしても、お客様どうしのトラブルってどんなのだったのでしょう。本川越行き最終に高田馬場から乗っていなくて良かったと思いました。

投稿: アップトリム | 2009年10月24日 (土) 13時00分

アップトリムさんへ
 こういう記録もいろいろ参考になります。私にとってもありがたいです。
 ちなみに、「お客さまトラブル」は私が今まで遭遇した範囲では
・ケンカ
・痴漢
・戸袋に手を引き込まれる
・小間物屋
・電車とドアの間に落ちる
などです。一番多いのはケンカですが、男同士の対等な言い争いや殴り合いから、一方的にインネンをつけたり酔っ払いのカラミまで。女性同士のケンカというのもあって、4年ぐらい前に高田馬場5番線ホームで間近に見ました。
 同じく高田馬場5番線では下半身モロ出しの男が大声でそばの女性に向かってなにやら吠えまくり、駅員たちが男の下半身を布のようなもので覆いながら取り押さえているのも見ました。
 小間物屋という言葉は最近あまり使わないようですが、食べたものを戻すことで、車内でこれがあると、ただちに清掃のため一時運転を中止します。これは2年ぐらい前に池袋の山手線内回りでも見ました。
 
 車内トラブルについてもいずれ取り上げるつもりでしたが、ちょっとコメントさせていただきました。
 そうそう、西武新宿では乗り込む直前にドアが閉まり、発車し出したのに怒った中年の女性が車掌に罵声を浴びせているのも見ました。

投稿: 縁有外史 | 2009年10月24日 (土) 18時41分

みなさま、こんばんは。

アップトリムさん、こんばんは。コメントありがとうございました。最終電車が17分遅れとは、西武の関係社員の皆様にはご愁傷様ですと申し上げたいと思います。

縁有外史さんにおかれましては、いろいろなシーンに出会われたようですね。おつかれさまです。

投稿: 鈴木やす | 2009年10月25日 (日) 20時59分

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