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2009年10月22日 (木)

工事が進んだ西武・元加治駅の09年10月22日の様子

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バリアフリー化工事が始まった西武池袋線 元加治駅ですが、2009年10月21日(水)の朝になり、エレベーターの昇降路の骨組みがホームに立っていました。5時20分ころでしたが、まだ数名の方が何やら作業していました。

そして夜は、改札口・切符自動販売機横の駅事務所窓口が工事用の囲いで覆われていました。御用のある方はご利用くださいと、改札口横にインターホンが設置されていました。



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2009年10月21日夜、元加治、外から改札口を撮影。

左側の工事用囲いの中が、以前は窓口でした。

22日(木)朝は、エレベーター昇降路骨組の周囲に、屋根の骨組みが付いていました。左上の写真は22日朝に、駅の外の道路から撮影したものです。真っ暗でしたので露出補正しましたが、よく分からないかもしれません。

夜になると、改札横に駅事務所の窓が空き、駅員さんと直接 お話しできる状態になっていました。

23日朝はまた窓口がなかったのでよく見たら、通路に面して事務所のホーム側に引戸と窓は以前からあったものの、窓ガラスの代わりに目隠しの板が入っていたりカーテンが引かれていただけのようです。上の写真では、ポスターが貼られている部分がその窓です。(10月23日22時30分追記)

なお19日ころに気づきましたが、元加治駅でも、「秩父フリーきっぷ」や「箱根フリーパス」など観光用のフリー切符などの販売が始まりました。掲示がありました。



09年9月下旬の西武池袋線・元加治駅のバリアフリー化工事の様子」へ。

また工事がワンステップ進んだ、09年10月31日朝の西武・元加治駅」へ。

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コメント

 冒頭の黒っぽい写真が出た時、一瞬ヒヤッとしました。記事を読んで納得。

 「鉄道ダイヤ情報」(DJ)の11月号、プロカメラマン諸河久氏による懐かしい西武の電機、貨物列車の写真の数々が。大変貌中の石神井公園駅におけるE43と無蓋車の写真も小さく出てますが、こんな光景(側線のある地上駅、そして貨物)もモノクロの過去の画像の世界となってしまったことに改めて無念の気持ちにさせられます。
 一連の写真には国分寺線の様子が出ていませんが、今は単線の一支線になってしまっている同線の貨物の光景もまた魅力いっぱいでした。月刊「東京人」というタウン誌はよく鉄道モノの特集をするので見逃せない雑誌のひとつですが、去年、なんと東京のかつての貨物列車の姿を特集し、そこには小川駅での貨物進入の写真が出ていて、ちょうどそれが私が高校に通学していた時のものだったので、まわりの様子ともどもなつかしさのあまりホロリとさせられたことでした。この雑誌は、もちろん有名な鉄道研究家も執筆しますが、写真は一般の人が撮ったものを使うことから、鉄道趣味誌にありそうで無かった掘り出し物の写真がよく出てきます。国分寺線の貨物は以前、「鉄道ファン」で後藤文男氏(「西武の赤い電機」の著者。古くから西武の写真を撮り続けた有名な方)だったかが著わした小特集が載っていましたが、そこにも小川駅でのものは無かったので、するどい所を突いてるなあ、と感心しました。

 国分寺線の歴史は次回に。
 ちなみに、「国分寺線の歴史」で検索して、出てきたものをザッと見てみましたが、「西武線最古」といった程度であまり詳しいのはないようです。もちろんなん万とヒットしたものをすべて見たわけではないので、すごいのがあると思いますが。
 古いということは、それだけいろいろなことがあるわけで、たとえば大正天皇を乗せたお召し列車が往復で走った、という出来事もありました。現天皇はできるだけ国民とともにといった希望から、専用の車両はめったに使わず、いつも新幹線とかそれぞれの路線の車両に乗り、西武でも新宿線をニューレッドアローに乗って利用したほど珍しくないものとなりましたが、大正時代といえば「神様」なわけですから、お召し列車もそれはものものしい。当時の川越鉄道をご乗用されたということは特筆すべき記事ですが、これもほとんど欠落しています。

投稿: 縁有外史 | 2009年10月23日 (金) 15時51分

縁有外史さん、こんばんは。

国分寺線とお召し列車とは、思ってもいない
組み合わせでした。

鉄道院または鉄道省の時代のお召し列車は、
6号御料車あたりでしょうか。

大正元年11月に川越で陸軍の大演習があり、
大正天皇が見に行ったようですね。

投稿: 鈴木やす | 2009年10月23日 (金) 22時53分

 戦前は軍による大演習が頻繁に行われ、その視察のために天皇がよく出かけましたが、同時にそれを名目として各地に旅行ができたわけで、病弱な大正天皇は活動期間が短かったものの、鉄道が好きだったそうで、軽便鉄道まで含めてさまざまな路線を乗れたのは嬉しかったようですね。長生きしていれば、全線完乗第1号になっていたかも。

 無理な注文であることはよく承知している一方、ひょっとしたらすでに取りかかっているかもしれないという期待もあるのですが、鈴木さんには、西武の全車両の形式写真を撮ってほしいという願いを持っています。こういうことを始めると、大半は難なくこなせるものの、残ったわずかなものが難物であるというのはどの分野でも言えることですが、客車、気動車、そして全国にわたるだけに困難を極める貨車については個人やグループで記録に残すべく形式写真を撮り続け、画像をHPで公開しているのもあります。そのほか、把握はできませんが、私鉄も各線のファンたちが大勢いることであり、形式写真に挑戦している面々は必ずいるはずです。
 鈴木さんの安定感ある腕なら、決して他にひけをとらないものが出来るはずですし、車両たちも喜ぶことでしょう。全然これについてはその気はないというなら無理にとは言いませんが、3ドア車の淘汰が進み始めていることでもありますし、日々の車両の動きに加えて全車両の形式写真が揃うと、西武電車の記録としてこの上ないものとなります。そそのかしているようですが、はい、そそのかしています(笑)

国分寺線の話[3]
 川越と都心を結ぶ路線として開業した川越鉄道ですが、完全に独立した路線として発足したわけではなく、甲武鉄道に経営を委託、事実上甲武鉄道の支線としてスタートしました。このため、直通列車も容易に設定できたし、貨車も行き来しました。
 路線の長さに比べて、開業時はわずか2両のSLしか保有せず、のちにもう2両購入しましたが、それでも4両(うち1両は貨物用)と少ない。これは、それで間に合うだけの列車本数の少なさもありますが、甲武鉄道の乗り入れ列車はそのまま入線したからでもあります。互いに別会社で「相互乗り入れ」となると牽引機関車は付け替えをしなければなりませんが、川越鉄道は甲武の支線、しかも機関車は甲武で採用したものと同じものというほど両者は一体化していたので、ほとんど区別が無い状態でした。
 ちなみに、川越鉄道発足時の機関車はクラウス製のBタンクで、それぞれNo1、2と称していました。よく、西武の古さを強調する言い方として、「西武のスタートはなんと蒸気から」とか「西武の1号機はクラウス」と言われました(最近はほとんど見ませんが)。 つづく

投稿: 縁有外史 | 2009年10月24日 (土) 05時47分

縁有外史さん、こんばんは。

形式写真はなかなか大変です。時間がかかります。機会があれば撮るようにしていますが、1000両はなかなか、難しいです。

関東で蒸機から始まった大手民鉄は西武・東武・相鉄くらいですね。


投稿: 鈴木やす | 2009年10月25日 (日) 20時50分

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