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2009年10月 3日 (土)

西武池袋線・石神井公園駅の高架複々線化工事、09年10月3日の様子

高架複々線化工事が進んでいる西武池袋線 石神井公園駅の、2009年10月3日(土)の様子です。

北口駅前のビル(練馬区施設)から撮影しました。高架橋上の工事が進んでいました。

右側に、地下改札口・自由通路の入り口が見えます(バスの左上)。



2009年10月3日、石神井公園、北口駅前のビルから撮影。


2009年10月3日、石神井公園駅、北口駅前のビルから撮影。

練馬高野台方の踏切から駅を見ました。ここからも高架橋上のホーム工事が分かります。



2009年10月3日、石神井公園駅、練馬高野台方の踏切から。


2009年10月3日、石神井公園駅、練馬高野台方の踏切から。

30000系の急行 飯能ゆきが停車中。

南口の駅前広場からです。

たかがホーム屋根を作っているだけなはずですが、お城を作っているようにも見えてしまいます。



2009年10月3日、石神井公園駅、南口駅前広場から。


2009年10月3日、石神井公園駅、南口駅前広場から。

工事のPR看板と、高架橋上のホーム・屋根工事。

大泉学園駅方の踏切から駅を見ました。



2009年10月3日、石神井公園駅、大泉学園駅方の踏切から。


2009年10月3日、石神井公園駅、大泉学園駅方の踏切から。

工事中のホーム屋根と思われますが、南側の端がベニヤ板でカバーされているのでより立派に見えるような気がします。



09年8月1日、西武池袋線石神井公園駅の高架化工事の様子」へ。

施設見学会があった10年1月30日の西武・石神井公園駅」へ。


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コメント

全体像が見えてきましたね。地元の人たちやいつも利用している人たちは、さぞワクワクしていることでしょう。いわゆるエキナカについても「どのようなのが入るかなぁ、練馬のようになるだろうか」などと。
 ちなみに、わが地元の東大和市駅は青梅街道との平面交差解消のため西武全駅で最初に高架化した駅ですが、なんにもありません(苦笑)。駅前にこそビッグボックス東大和とスケート場があるものの、駅本体となるとかなり古色を帯びて(もう30年以上経つ)、これは近々補強工事がなされるらしいですが、橋脚は細くて貧弱、コンクリートも黒ずんですごい状態です。

●上水線のなりたち(つづき)
 進駐軍が撤退するのに基地が増強されることになったのは、御存じのとおり朝鮮戦争が勃発したためです。占領軍は退く代わりに前線基地に配属される兵が来たことで、日本の米軍基地の機能がかえって増強され、立川基地の拡充の一環として大和基地が無理矢理作られました。

 玉川上水が基地の街となったことで、上水線には外国人の乗客が目につくようになりました。今も拝島線ではよくアメリカ人の集団とか個人をよく見かけますが、これはおわかりのように横田基地関係者です。福生から都心方面へ行き来する場合、基本的には青梅線・中央線コースですが、中学・高校で英語の講師をしている軍人の家族らなど、西武線沿線に勤務先がある人も多いですし、また新宿歌舞伎町なら西武新宿線一本で便利ですから。
 上水線が拝島まで延伸される計画が立ったのはいつか、明確なことはわかりません。ただ、これもまたほとんどの本や雑誌類の記述は通り一辺倒のことしか書かれていませんが、拝島までの区間が開業された日よりも、実は5年も前に軌道は完成していました。
 なぜ、線路が出来ていながら5年も開業できなかったのか。これもまた米軍が関係するのですが、つづきは次回に。

投稿: 縁有外史 | 2009年10月 4日 (日) 06時39分

縁有外史さん、こんばんは。

私の頭の整理のために。
・1950/05/15 上水線小川駅 - 玉川上水駅間開業。
・1951? 玉川上水駅北側の西武所有地が接収され米軍大和空軍施設となる。
・1951/09/08 サンフランシスコ平和条約署名。
・1952/04/28 サンフランシスコ平和条約発効。
・1968/05/15 玉川上水~拝島間開業。
・1973/06/30 大和空軍施設返還。

投稿: 鈴木やす | 2009年10月 4日 (日) 22時06分

鈴木さんへ
 年表作成ありがたく思います。なお、拝島まで開業する以前につけ加える事柄がありますが、これは私の拙い連載で間もなく出てきます。
 立正佼成会。これに言及している資料はほとんどありません。せっかくなので詳しく述べさせていただいています。おっしゃる通り、杉並に本部があり、大きな建物とかいろいろありますね。ナントカ学会の陰に隠れてあまり目立っていませんが、某政党を支持して政治的な活動も盛んで、今後の動向には注視すべきかと。
 西武に白帯車は存在したか。これは私も気になっていたことですが、まだ画像など、明確に存在を示す資料は確認できていません。当然あってしかるべきですが、ただ終戦直後の西武は国鉄から戦災車両を購入しまくったり借り入れたりし、保育社カラーブックス「日本の私鉄2 西武」(西尾恵介・井上広和共著)で「沿線に米軍キャンプが設営されたこともあって貨物量が急増、国鉄から機関車を譲り受けてもまだ不足し、借入れも行ったりで百鬼夜行となった」とあるように、機関車のみならず電車から貨車まで、およそあり得ない車両が突如走ったかと思えばいつの間にかいなくなったり、使った実績はなかったらしいですが、なんと国鉄でとっくに使わなくなっていた蒸気動車キハニ6454(客車に蒸気機関を搭載したゲテモノ)まで購入して本川越に留置していたほど、かなりひどいのを集めていました。
 こんな状況だったので、白帯車に充当させるような高級な車両があったかどうかも定かではありませんが、私も引き続き調べますが、御存じの方のご一報にも期待したいですね。
 なお、終戦直後、西武はどういうつもりか、しばらくの間、モハ311+クハ1311の車体に大きく「SEIBU LINE」という文字を白いペンキで書きました。これは画像で確認できますが(比較的最近の鉄道ファン誌だったかにも掲載されていました)、かなり情けないものです。ひょっとすると白帯車はない代わりに、この白文字車がその代用だったかもわかりません。

投稿: 縁有外史 | 2009年10月 5日 (月) 05時42分

縁有外史さん、こんばんは。

戦争直後の混乱した時代、当事者にとって苦肉の策は、今から見ると貴重なシーンです。

いろいろ工夫されたと思いますので、その実態が明らかになるのが楽しみです。堤さんが国鉄当局者にサツマイモを配って電車を調達、とかあったりするでしょうか?

投稿: 鈴木やす | 2009年10月 5日 (月) 22時54分

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