N101系4+4+2連の準急 田無ゆきが走ったり、09年10月15日の西武線
2009年10月15日(木)の西武線、見ただけです。
N101系4+4+2連の準急 田無ゆき
いつもはN101系10連の4806レが10月15日(木)は(<-西武新宿)2059F+2413Fでした。
代わりにその直後の、いつもは10両固定編成の2610レが(<-西武新宿)1253F+1251F+281Fでした。西武新宿からの折り返しは準急 田無ゆきの4201レでした。
いつも2610レだった編成が走るお昼の3308レも1253F+1251F+281Fでした。
新宿線の朝のもう1本のN101系10連列車 2604レは(<-西武新宿)1309F+285Fでした。
夜のN101系10連列車 4644レは、(<-西武新宿)N101系2連+1311Fでした。
飯能~仏子間の始発前の一っ走りがありました
5時20分に元加治駅を10000系の下り回送列車が通過しました。始発の5101レの前です。
5時13分頃にも、仏子~元加治間で電車の走行音がありました。上りの始発の3102レの後、2番列車の2102レの前です。
これまでも何度かあった、飯能~仏子間を往復する、よく分からない回送列車が走ったと思われます。
これまでは、上りも始発列車(3102レ)の前でした。今朝は、上りは始発列車の後だったようです。
秩父線開通40周年の記念切符が発売される
10月14日(水)の午前10時から、主要駅で秩父線開通40周年を記念する乗車券(多摩川線を除く全線フリー乗車券が大人2枚・子供2枚)が1セット2000円で発売されました。
PRは控えめで、ウェッブサイトの告知のほかは、各駅にポスターが1枚か2枚 貼られているだけです。「売り切れ」はまだポスターに貼られていません。よろしかったら、どうぞ。
西武秩父線は1969年10月14日の開業です。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
いつもいろんなとこで撮ってるけど乗車券はどうしてるの?
投稿: | 2009年10月16日 (金) 00時20分
多摩湖線の話[補遺]
いいかげんにしまってあったので変色(というか褪色)してしまった西武鉄道の時刻表創刊号(1979年10月)を引っ張り出してみました。今のものより大きなB5版で、本数が少ないために余白と広告がとても多いです。いろいろ懐かしいですが、今回は省略するとして、多摩湖線を見てみたところ、国分寺-一橋学園間の区間運転が記憶どおり、朝と夕方を中心になんと15往復もあります。(ただし、休日はこの当時のダイヤではゼロ)もちろん351系。そして、平日、休日を問わず完全に萩山までで、西武遊園地まで通しで運転される列車は臨時も含めてまったくありません。萩山で完全に分断されています。
この当時の様子はよく覚えていますが、一橋学園周辺はまだ畑だらけで、乗客も少なかった。にもかかわらず、今以上にこの区間運転が頻発していたのは、需要ということだけでは説明できない別の理由もあったのではないか、どうしてもそう思わざるを得ません。
創刊号の「車両紹介」は5000系(とても詳しく紹介)、101系、そして2000系です。101系の写真は正面の窓回りがまだ明るい色で、今はもう見られないものです。2000系もデビューしてまだ2年、完全な新車。時代を感じます。
投稿: 縁有外史 | 2009年10月16日 (金) 21時09分
縁有外史さん、こんばんは。
事情を知っているわけではありませんが、「陰謀史観」的に物事を見ないほうがより面白い(現実は小説より奇なり、とも言います)と思うので、屁理屈を捻り出す癖が付いております。
そこで考え出した屁理屈は、当時は一橋学園駅周辺に住宅が少なくとも、一橋大学の学生さんの利用は多かった。スクーターは普及しておらず、自転車もそれなりのお値段だったので、電車利用者が多かったので(さぼる学生さんも少なかった?)、区間電車を運転していた。現在はスクーターや自転車で国分寺駅から移動する学生も多く、また編成も長くなり(17mX3 --> 20mX4)輸送力が充実したので区間電車の必要性が減った、はいかがでしょうか?
投稿: 鈴木やす | 2009年10月17日 (土) 22時52分