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2009年11月 3日 (火)

09年11月3日の入間航空祭、西武の電車の様子

2009年の文化の日(11月3日)も、航空自衛隊入間基地で「入間航空祭」が開催され、最寄りの西武池袋線・稲荷山公園駅は大勢の人で賑わい、西武池袋線は特別臨時ダイヤでの運転でした。

なお当エントリーは電車の話題だけです、念のため。

地下鉄から直通の4本が、飯能に延長運転となっていました。2本が各停 小手指ゆき(6511レと6703レ)、2本が準急 小手指ゆき(4503レ・4509レ)の延長でした。



2009年11月3日、石神井公園、6106Fの各停 飯能ゆき(6511レ)。


2009年11月3日、石神井公園、6106Fの各停 飯能ゆき(6511レ)。

池袋始発の快速や準急・各停の入間市ゆきもありました。所沢や小手指ゆきの延長運転でした。

写真は、32101F+38103Fの快速 入間市ゆきです。3303レ(所沢ゆき)の延長だったようです。



2009年11月3日 10時24分頃、稲荷山公園、32101F+38103Fの快速 入間市ゆき。


2009年11月3日 10時24分頃、稲荷山公園、32101F+38103Fの快速 入間市ゆき。


N2000系2+8連の快速 入間市ゆきの側面表示は全車「快速」だけでした。

例年同様、稲荷山公園駅に停車する、下りの臨時特急が2本運転されました。池袋10時0分発のむさし83号と、10時40分発のむさし85号です。

ほかに、ちちぶ9号(池袋 9時30分発)と13号(11時30分発)も稲荷山公園駅に停車しました。ちちぶ11号は通過でした。



2009年11月3日 10時34分頃、稲荷山公園、発車直前の特急むさし83号(10108F)。


2009年11月3日 10時34分頃、稲荷山公園、発車直前の特急むさし83号(10108F)。

3401レの快速 飯能ゆき(定期列車、33S運用)で下って行ったメトロ10011Fが、折り返しは急行 池袋ゆきでした(2142レ)。運用番号は「00S」を表示していました。

下の写真で隣に止まっているのは9101Fです。11時33分に入間市から回送で仏子駅中線に到着しました。入間市駅へ3307レの延長で到着し、折り返しと思われます。



2009年11月3日、仏子、メトロ10011Fの2142レ。


2009年11月3日、仏子、メトロ10011Fの2142レ。


メトロ10011Fは、池袋到着後は折り返し4303レ(準急 所沢ゆき)でした。

その後、3626レ・3627レ・4404レで見かけました。いずれも33S運用です。

メトロ10012Fも西武・池袋へ入りました。3613レで下っていくところを見かけていましたが、その折り返しが4314レでした。おそらく飯能始発と思われます。運用番号は「39S」でした。

池袋からの折り返しは急行 飯能ゆきの2135レでした。

その後は、3632レだったようです。



2009年11月3日、秋津、メトロ10012Fの2135レ。


2009年11月3日、秋津、メトロ10012Fの2135レ。

下り列車の増発はなかったと思うのですが、上り列車では、武蔵藤沢駅基準で12時19分・13時19分・14時19分・14時37分発・15時7分発・15時19分・16時37分発が増発だったようです(所沢駅の掲示とクロスチェック)。

以前にN101系10連が入ることが多かった4108レからの運用に本日は(<-飯能)287F+1303Fが入り、4108レ・2115レ・4112レ・4215レと走っていました。

以前は小手指から4226レで折り返していたはずですが、本日は、武蔵藤沢14時19分発のスジの増発快速に入っていました。その折り返しは2139レでした。通常ならば3000系(8両編成)の列車ですが、本日は10連です。

ただ2139レで飯能駅到着(15時56分)後、287F+1303Fが折り返してくることはありませんでした。昨晩は2178レに入っていましたので、本日は武蔵丘出庫と思われ、これで良いのでしょう。



2009年11月3日、秋津、287F+1303Fの2141レ。


2009年11月3日、秋津、287F+1303Fの2141レ。

稲荷山公園駅を16時24分に発車した各停 池袋ゆき(おそらく入間市始発・小手指から5222レ?)は2063Fでした。



2009年11月3日、稲荷山公園、2063Fの臨時 各停 池袋ゆき


2009年11月3日、稲荷山公園、2063Fの臨時 各停 池袋ゆき(5222レの始発駅変更?)。

この後、個人的に今日一番のビックリがありました。入間市駅での特急待避です。

32103F+38015Fの下り回送列車は16時50分に入間市駅3番ホーム(下り本線)に到着し、53分に発車しました。

続いて、32101F+38103Fの下り回送列車が16時59分に3番ホームに到着。すぐに1・2番ホーム(下り特急ホーム)に10103Fの特急 ちちぶ23号が到着。17時2分着・3分発でした。その後に、回送列車は17時4分に発車して行きました。

入間市駅での追い抜きは初めてでした。ちなみに、最初の回送の32101Fほかは隣の仏子駅中線でちちぶ23号に追い抜かれたのかもしれません。



2009年11月3日 17時2分頃、入間市、特急に追い抜かれる38103F+32101Fの下り回送列車。


2009年11月3日 17時2分頃、入間市、特急に追い抜かれる38103F+32101Fの下り回送列車。

朝の快速急行 西武秩父ゆきは、1001レが1301F、1003レが3003Fでした。そして夕方の快速急行 1106レは3007Fでした。

シーズンオフとなったため1301Fは、飯能から回送で10時半ころには小手指車両基地に戻っていました。午後は5220レなどに入っていました。

また1106レの3007Fは朝、各停 入間市ゆき(5213レの延長)に入っていました。

前年は人身事故でダイヤが乱れました

今年も、混雑で4・5分の遅れや、16時31分ころ元加治駅で安全確認のため数分の遅れがありました。しかし概ね順調だったと思われます。快晴で、天候にも恵まれました。

来年は体育の日に開催していただけると嬉しいですが、無理でしょう。


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コメント

 航空祭にともなう西武線の様子は実地に見たことがないだけに、これほど詳しいのはありがたいです。お疲れさまでした。
 それにしても、戦前の鉄道を敷設した先人たちは、後世このように基地の催事が貴重な収入源の一つとなるとは夢にも思わなかったでしょうから、もしこれを知ればどう思うことでしょうね。

投稿: 縁有外史 | 2009年11月 3日 (火) 21時56分

結構まだ未熟な者で、6106Fの各停飯能行きは気が付きませんでした。
自分は昼は用があり、午前中だけの撮影でしたが、去年の方が良かったような感じがします。何故か自分が撮影に行った日に限って地下鉄からの入間市行き無い気が…どうせなら入間市行きにしてほしかったです。
これといった入間市行きのネタ車両は無かったと思います。
-発言ばかりすみません。長文失礼しました。

投稿: 6000系大好き | 2009年11月 3日 (火) 21時58分

みなさま、こんばんは。

自らの事業が礎となって多くの人たちが楽しんでいるので、みなさん喜んでいるのではないでしょうか(中には、「憲法違反」と苦虫を噛み潰している方がいらっしゃるかもしれませんが)。
   > 縁有外史さん

黄色帯のメトロ7000系に今日は出会えませんでした。また入間市ゆきに30000系が入ったのが、去年との大きな違いかと思います。地下鉄側の設備(情報関係?)が「入間市」ゆきに対応していないので、地下鉄直通はすべて飯能ゆきなのかも知れませんね。
   > 6000系大好きさん

いずれにしても、飛行機が墜ちなくて良かった、と思う次第です。

投稿: 鈴木やす | 2009年11月 3日 (火) 22時14分

国分寺線の話

「鉄道業の現状」つづきです。
 本会社は故・雨宮敬次郎の発起に係り、明治25年6月設立免許を受け、27年12月営業開始、28年2月全線開通。
 当初、会社の設立に際し、川越町民の協力が少なかったため、事業着手に臨んで敷地の買収が困難を極め、そればかりか線路工事の妨害などいろいろな迫害を受け、ついに妨害者を警官に捕まえてもらうといった騒動まで起き、株主の中に川越町民が一人もいない事態となった。

 上の沿革に続き、あとは財務状況といった経営面のことなので省略します。
 川越線が起点たる川越町(当時)の人々から嫌われていたのは興味深いことです。明治も古い時代には鉄道の便利さがまだ充分認識されず、逆に従来の人馬による輸送が鉄道に奪われてしまうといったことから、鉄道が通ると田畑の作物が枯れてしまうなどといった無知による迷信が広まるなどして、地域によっては迂回をしたり町の中心地を避けるなどといった事態を招きました。
 ただ、迷信については最近の研究によりほとんどでたらめでそういった鉄道忌避伝説はあとから作られたもので、実際はそれまでの利権が奪われることに対する反対といった理由が多かったようです。岡崎や流山が代表的な例で、前者は東海道線、後者は常磐線が中心からはずれてしまったのは、どちらも古くから物流の盛んな所で、鉄道を強行に拒否して利権を守ったということになっています。ただし、流山については、これもまた最近の研究で、ただ単に通りやすい所を通っただけ、むしろ中心地を通ると北に迂回させなければならず効率が悪いためだ、という説も出ています。
 川越はまさに江戸の昔から人馬による交通、物流が盛んな地。鉄道なんぞに旅客や物資を奪われてなるものか、と業者たちが反発し、なにも知らない住民たちがそれに賛同、作業員たちを襲撃する過激な者が出たのも思いこみがそれだけ強かったというわけでしょう。

投稿: 縁有外史 | 2009年11月 4日 (水) 06時05分

お久しぶりです
急行狭山市です
昨日、自分も航空祭へ行ってきました
3枚目の特急の臨時停車中の写真に自分が入っておりました
今年の入間市行きの運用は少なかったです
話は変わりますがメトロ10011Fとメトロ10012Fが西武線の運用
に入っていた事は気ずきませんでした

投稿: 急行狭山市 | 2009年11月 4日 (水) 18時15分

国分寺線の話
 川越の人から憎まれた川越鉄道というのは意外ですが、詳細はあまり文献に見当たらず、また当時を知る古老たちもすでにおられませんから、今となっては年表的な項目程度しか知ることができないのが残念です。

 さて、話を進めましょう。
 競合する路線が次々と出来たり計画され、経営危機に陥った川越鉄道は新線の計画もしたものの、結局これは実現に至らず、電化、そして旧西武鉄道との合併という動きをとりました。これは前にも述べたように電力会社とのかかわりと連動し、とても複雑ですが、あくまで鉄道に限って話を進めます。
 旧西武と合併した旧川越鉄道の路線は、東村山-川越(現・本川越)間が電化され、これにより高田馬場-川越間の電車運転が開始されました。
 ところが、東村山-国分寺間は非電化のままとし、この状態がなんと、武蔵野鉄道と合併して現・西武鉄道となるまで(つまり終戦直後)続きました。
 この理由は、西武に公式の記録がないためにウワサの域を出ませんが、東村山-国分寺間を電化せず、さらに複線化もしなかったのは、わざと輸送力を低く抑えることにより、東村山から中央線経由で都心へ流れる旅客を阻止するためだ、とされています。
 これがまんざらでたらめではないのは、同じ時期に旧西武に合併された多摩線(多摩川線)に対しては続々と新車を投入し、しかもフリークェントサービスまで行うといったように近代化に積極的だったからで、現在、電化はされたものの、なお単線のままなのは、どうもあまり中央線を利用されたくないという昔の呪縛が潜在意識としてあるのでは、などと思ってしまいます。近年、ようやく東村山より北にも乗り入れるスジが出来ていますが、利用状況などからみて複線にしないのは、いろいろと憶測をたくましくしてしまいます。
 国分寺で中央線電車と相互乗り入れをし、複線にして東京-本川越間の直通といったものを設定すれば(つまり先祖返り)かえって好評になるはずなのに、と思ってしまいます。新宿線の利用が減るでしょうが、なにもそんなにたくさんの乗り入れを設定する必要はない。ラッシュ時限定とか、逆に日中に「西武特快」といった程度でもよいのです。 つづく

投稿: 縁有外史 | 2009年11月 5日 (木) 21時31分

急行狭山市さん、こんばんは。

稲荷山公園駅ではニアミスだったようで、おつかれさまでした。

メトロ10000系の池袋ゆきは私もビックリでした。

4枚目の写真の、メトロ10000系の急行 池袋ゆきが仏子駅に到着すると運転士氏が運転台から降りてきて、しげしげと(?)前面を眺めていました(確認していました)。運転する人も信じられない珍現象だったのかは不明です。(「何してるんですか?」と尋ねるのも失礼すから)

投稿: 鈴木やす | 2009年11月 5日 (木) 22時55分

下記コメントを削除しました。

*** 引用ここから ****
顔にべしべし俺もビシャビシャwwwwwww
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あっちょwwwいきなりごめwwwwwwwwwwww
おてんてんで女の顔ベシベシ叩きつつクリ子舐め舐めしまくったんだが
感度良すぎて即吹きでビビる俺ー!!(>_<)!!ナハナハ!!
いきなり吹くもんだからおかげで俺の顔面ビッシャビシャ(^^;

うれしすぎるだろがコンニャローバーローwwwwwwwww

投稿: キッッッターァァ!!! | 2009年11月 6日 (金) 23時16分
*** 引用ここまで ****

徹夜で労働していたので、削除が遅れました。

投稿: 鈴木やす | 2009年11月 8日 (日) 09時20分

縁有外史さん、こんばんは。

岡崎も、鉄道忌避は単なる「伝説」との考え方もあるようです。

本川越駅は町の中心部に近いと思いますし、忌避されていたかは怪しいと私は思います。

国分寺線の電化・複線化が遅れた(ている)のは、「わざと輸送力を低く抑える」というほど大げさなことではなく、単に支線になったから、で良いのかもしれません。

今となっては中央線の線路容量に余裕がなく、西武国分寺線との定期列車の直通運転など冗談にもならない気はしますが、行楽目的の列車はあっても悪くはないと思います。

投稿: 鈴木やす | 2009年11月 8日 (日) 18時07分

いつも楽しく拝見しています。
もうすぐ中央線は立川まで複々線化され、そうなると快速線に少し余裕が生じるので、もちろんあり得ない話ですが、国分寺乗り入れのスジが1本や2本は可能という気はします。
乗り入れの話、興味ありますね。
あと、国分寺線の東村山以南が冷遇されていたという話は「鉄道ピクトリアル」の1969年12月号に川越鉄道のなりたちの中にも出ていて、本当の話として昔は有名だったようです。

投稿: 所沢工 | 2009年11月 8日 (日) 18時28分

 川越鉄道がどうとか昔は貨車が多くてよかったとかいう話は興味ありません。うざってー。
 でんしゃ観察をたのんます。
 古いのが好きな人はよそへドーゾ

投稿: 名前:任意 | 2009年11月 9日 (月) 22時02分

「任意」さん、こんばんは。

私は、昔の話は大好きです。

「よそへドーゾ」は「キッッッターァァ!!!」さんとかに言ってあげてください。

投稿: 鈴木やす | 2009年11月 9日 (月) 22時22分

所沢工さん、こんばんは。

そう言えば中央線は複々線になるのでした。JRは埼京線もありますが、国分寺で西武との直通があれば面白そうですね。

鉄道ピクトリアルの記事はわかりませんが、国分寺~東村山間が冷遇されても仕方がないだろうな、とは思ったりしております。

投稿: 鈴木やす | 2009年11月 9日 (月) 22時35分

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