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2010年3月31日 (水)

20102Fが西武池袋線にいた2010年3月31日

2010年3月31日(水)の西武池袋線 4209レ(池袋 18時56分発・準急 小手指ゆき)が20102Fでした。



2010年3月31日、所沢、池袋線 4209レの20102F。


2010年3月31日、所沢、池袋線 4209レの20102F。


いつもは新宿線の車両です。3月29日(月)は新宿線の2804レで見かけました。

なお朝の新宿線は、N101系10連が前日に続いていつもよりプラス1でした。2804レが(<-西武新宿)1311F+295Fでした。

N101系10連列車の2604レは(<-西武新宿)281F+1309F、4806レは(<-西武新宿)1251F+1253F+285Fでした。

また夜の新宿線 5632レは前日に続いて4ドア車(<-西武新宿)2503F+2539Fでした。2679レの方は3ドア車で(<-西武新宿)1309F+281Fでした。

また2671レが(<-西武新宿)2455F+2003Fでした。

池袋線のN101系10連は、2159レが(<-飯能)287F+1303F、2261レが(<-西武新宿)271F+1301Fでした。前日と逆です。

20時すぎの小手指車両基地には(<-飯能)1245F(?)+1241Fが見えました。


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2010年3月30日 (火)

2010年3月30日の西武新宿線のN101系

2010年3月30日(火)も寝坊し、いつもより遅く所沢駅へ到着しました。

2010年3月30日、所沢、295F+1311Fの2605レ。
2010年3月30日、所沢、295F+1311Fの2605レ。

4806レ(新所沢 6時35分発・準急 西武新宿ゆき)は(<-西武新宿)1309F+281F、2604レの折り返しの2603レ(西武新宿 6時37分発・急行 本川越ゆき)が(<-西武新宿)1251F+1253F+285Fでした。いつもN101系10連の運用です。
しかし今朝はもう1本、2605レ(西武新宿 6時46分発・急行 本川越ゆき)も(<-西武新宿)1311F+295Fでした。いつもは4ドア車10両固定編成の2804レが新宿から折り返してきた列車です。

2010年3月29日、所沢、1251F+1253F+285Fの2679レ。
2010年3月29日、所沢、1251F+1253F+285Fの2679レ。

一方、夜はN101系を見ませんでした。上の写真は前日です。
継続した観察の結果、2679レ(西武新宿 19時10分発・急行 本川越ゆき)がN101系10連列車とにらんでいますが、30日夜は(<-西武新宿)2541F+2049Fでした。
また5632レ(本川越 18時52分発・各停 西武新宿ゆき)もN101系が多いようなのですが(チェックした二日のうち、3月17日が(<-西武新宿)1251F+1253F、29日は1309F)、30日夜は2003Fでした。

なお池袋線のN101系10連はいつものとおりのようで、3月30日(火)夜は、2159レ(池袋 19時8分発・急行 飯能ゆき)が(<-飯能)271F+1301F、2261レ(池袋 19時18分発・急行 小手指ゆき)が(<-飯能)287F+1303Fでした。

29日(月)夜は逆で、2159レが287F+1303F、2261レが271F+1301Fでした。

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2010年3月30日、2455Fが西武新宿線に

2010年3月30日(火)の西武新宿線 2677レ(西武新宿 18時57分発・急行 本川越ゆき)が(<-西武新宿)2455F+2001Fでした。



2010年3月30日、所沢、2677レの2455F+2001F。


2010年3月30日、所沢、2677レの2455F+2001F。

2455Fは、いつもは池袋線だけで走っているN2000系2両固定編成です。

3月24日(水)は(<-飯能)2455F+2063Fという編成で池袋線にいました。その後は不明でした。


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2010年3月29日 (月)

西武池袋線にN101系4+4連が再登場の2010年3月下旬

2010年3月20日(土)の午後18時すぎ、西武池袋線 小手指車両基地の中央に(<-飯能)N101系4連+1243Fが止まっていました。翌 21日(日)朝6時前や15時すぎも同じ場所にN101系4+4連がいました。

3月22日(月・休日)朝6時すぎは見えませんでしたが、5419レ(池袋 7時27分発・各停 豊島園ゆき)が(<-飯能)1245F+1243Fでした。5422レで池袋へ戻ると、折り返しは5215レ(池袋 8時21分発・各停 小手指ゆき)で下って行きました。



2010年3月22日、池袋~椎名町、1243F+1245Fの5215レ。


2010年3月22日、池袋~椎名町、1243F+1245Fの5215レ。

その後もN101系4+4連の運用は続いています。数日 見かけませんでしたが、3月25日(木)は1243Fに代わり1241Fが編成に入り、5519レが(<-飯能)1245F+1241Fでした。翌朝 26日(金)の5107レもこの編成でした。27日(土)は5215レで見ました。

28日(日)も、番号は未確認ですが5469レがN101系4+4漣でした。

そして3月29日(月)は5208レ(小手指 6時1分発・各停 池袋ゆき)が(<-飯能)1245F+1241Fでした。



2010年3月29日、所沢、1245F+1241Fの5208レ。"


2010年3月29日、所沢、1245F+1241Fの5208レ。


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2010年3月28日 (日)

2010年3月下旬、鉄道を巡るあれこれを徒然に



「おおらかな時代」は過去のものでおしまい?


2010年3月28日の西武E31形電気機関車のさよなら運転では、築堤上で撮影しようとしていた方たちが西武の職員さんに注意され、排除されていました。

彼らが具体的にどこにいたのか知りませんから、彼らを擁護するつもりはありませんが、過去の大家の作品の中には、築堤上で撮影した写真も少なくありません。

某・鉄道誌 主催の、過去の鉄道写真の投稿サイト「わが国鉄時代」には、「昔はおおらかでした」というお言葉が出てくることもあります。一方で今月号のこの鉄道誌(『レイル・マガジン』ですね)の「FROM THE EDITOR」というコラム蘭には、「採否に関わらず画像のチェックを厳密に行っており、さらに撮影ポジションに誤認を招きかねない場合は写真解説に注釈を入れるなど最大限の配慮を払っております」と書かれています。投稿サイト「わが国鉄時代」も同じ基準を適用しているのでしょうか? 例えば「C62 2号機のキャブに」は?

過去の写真に今の基準を適用を、ではありません。過去の基準を現在へ適用が鉄道愛好家 皆さんの望みではないでしょうか?

やみくもに禁止しチェックするのではなく、「おおらかな時代」を再現するための道筋を鉄道趣味界のリーダーを自認する方々に示していただきたい、と思います。

ところで本日のE31さよなら運転、田んぼに入ったり築堤に上がった人は注意されていましたが、民家の前のあぜ道に立った人は注意されませんでした。その家の犬は吠えていました。マナーにかなった行為とは思いません。もしお読みでしたら、次回からは配慮いただきたいと思います。



1047名問題は政治決着?


1987年の国鉄の分割・民営化に反対しJRに採用されなかった国鉄労働組合(国労)の組合員など1047名が、不当労働行為と訴えている問題で、与党の民主党・社民党・国民新党と公明党が和解案をまとめていると報道されています。

和解案の中には、約200名をJRが雇用することも含まれていますが、JR北海道やJR東日本・JR東海がこれを拒否すると表明しいるようです(朝日新聞 2010年3月27日朝刊)。「当時の職員との公平性」という理由を掲げている社もあるようです。

不当労働行為があったことを政府に認めさせれば十分に勝利であると私は感じています。JRと国鉄とは別組織であるとJRは従来から主張しており、この点についてJRが不服を述べるスジはありませんし。

ただ当事者の皆さんの思いも理解できます。最近のJRでは、基本的なミスが原因の事故も多発しています。JR東海の新幹線のパンタグラフの作業ミスや、JR東日本・目白駅のケーブル配線ミスなどです。

思想・信条の差別でJRへ不採用となった方々は、スキルは低くはないと思います。「豊富な社会経験」もお持ちです。採用は、JRにとってもおトク、ではないでしょうか?



検察審査会が、尼崎事故でJR西日本の歴代社長3名を起訴議決


2005年4月のJR西日本・宝塚線の列車脱線事故について、同社の歴代社長3名について業務上過失致死傷罪で強制起訴すべきと、2010年3月26日に神戸第一検察審査会が議決し公表しました。

3名は責任を拒否してきました。私は、拒否にも一理あると思います、ただし神戸地方検察庁が理由とした「安全対策の権限を鉄道本部長に委ね、カーブが危険という認識はなかった」とは別の理由で。

鉄道事業法の第12条(鉄道施設の変更)は、工事計画の変更を国土交通大臣の認可事項としています。当然、急カーブとなる現場に速度照査機能を設置しない工事計画を当時の国土交通大臣は認可しています。

「ATSの未設置」を理由に社長を罪に問うのであれば、政府の責任も問うべきです。ダメなんでしょうか?

ただしJR西日本には、日勤教育に代表されるおかしな社風がありました。尼崎事故の原因は、この社風が大きいと私は思っています。したがって、別件ではありますが、社長の責任が問われても仕方がないと思いますし、検察審査会の決定を支持します。

でも、有罪になるかな?

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業務の後で記念式典に出席、10年3月28日の西武E31形電機

2010年3月28日(日)は、西武E31形電気機関車のさよなら記念式典が横瀬で開催されました。

2010年3月28日 8時7分頃、飯能、側線に停車中のE34+1217Fほか
2010年3月28日 8時7分頃、飯能、側線に停車中のE34+1217Fほか
4113レ~2118レの1番ホーム停車中の9102F車内から撮影。

所沢駅で新宿線のN101系10連をチェックし4113レで8時3分、飯能駅1番ホームへ到着すると、その横の側線にE31形と1217Fのプッシュプル編成が停車していました。ホームには警備員と、鉄道ファンの姿も。
駅すぐ近くの踏切にも、警備員と西武鉄道の職員(駅の助役さん?)、そして鉄道ファンが見えました。
飯能駅や横瀬駅で西武の職員さんにお聞きしたところ、武蔵丘から横瀬へ1217Fを回送するための甲種鉄道車両輸送列車で、飯能駅での折り返しは配線上必要なわけではないのだがそうすることになった、業務上の列車なので運転スケジュールは公表しなかった、警備員は鉄道ファンの安全対策でホーム等に配置された、1週間ほど前に警備の仕事の話はあった、ということでした。
解釈としては二通りでしょうか?

  • 引退イベント当日に仕事をさせられるとはE31たちは安心して引退できない?
  • 西武鉄道お好みの情報チャンネルにアクセスできるものだけに撮影の便宜を図った?
  • 企業が公表する情報に嘘はないが、本当のことばかりではないと示唆。「鈴木やすの言うこと」にも一理ある、とか(プリンスホテルから私への返事はありません)。
    西武鉄道のニュースリリース(リンク先はPDFファイル)"四日市の土壌汚染"や"踏切誤作動"などにも公表された事実の他にも何かあると思われても、これでは仕方がありません。

サプライズを否定はしませんが、不明朗な運営に限りなく近いと私は感じました。

この「業務上の必要」で運転された甲種輸送列車は、1番ホームから2118レが発車する前、8時8分に飯能駅から西武秩父方へ発車して行きました。

8時24分ころは武蔵丘信号所で1003レを待避。

横瀬駅には9時59分に到着しました。編成は(<-飯能)E34+1217F+E32+E31でした。

横瀬駅到着後は1217Fを側線に切り離し、(<-飯能)E34+E32+E31となって、駅 西武秩父方の引き上げ線へ入りました。

公表されていた横瀬~西武秩父間往復のさよなら運転の、11時15分の発車時刻まで1時間ほど、ずっと引き上げ線に3両は留まり、横瀬車両基地はE33と1217Fだけでした。

1往復くらい、サービスして会場へ来てくれてもバチは当たらないと思いますが、...。



2010年3月28日 10時45分頃、横瀬、左がE32で右が1217F。


2010年3月28日 10時45分頃、横瀬、左がE33で右が1217F。

はるか奥にE34+E32+E31。

さよなら運転は予定どおり実施されました。西武秩父からの復路は5分ほど遅れていました。横瀬駅の築堤に上がって撮影しようとしていた方が西武の社員さんに注意されていたので、遅れたのかもしれません。



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2010年3月28日 11時16分頃、横瀬~西武秩父、E31+E32+E34

午後は会場の横瀬車両基地で、E31を並べたりいろいろ楽しい催しがあったようです。

到着後は3両を引き上げ線に留め置いた措置は、好意的に解釈すれば、午前中はお買い物、午後は撮影と分けてくださったとなりますが、「西武鉄道お好みの情報チャンネル」アクセス可能な方には午前中は甲種輸送のおまけも追加となったわけですね。

なお私はさよなら運転の復路を撮影し、会場を後にしました。


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2010年3月27日 (土)

10年3月6日改正ダイヤの西武池袋線 平日朝の保谷・清瀬界隈

2010年3月6日改正ダイヤの平日朝の西武池袋線 保谷駅・清瀬駅の様子です。



保谷駅電留線・4番線に、6時前から4ドア車8連留置


3月18日(木)の朝 5時半すぎの清瀬駅では、引き上げ線にLED表示のN2000系8連、4番ホーム(下り副本線)に車内が暗い留置中の6113F、そして2番ホーム(上り副本線)に「回送」表示の2087Fがいました。



2010年3月18日 5時37分頃、清瀬、右が2番ホームの2087F 回送。


2010年3月18日 5時37分頃、清瀬、右が2番ホームの2087F 回送。

中央 奥は引き上げ線に留置中のN2000系8連(LED)、左端が4番ホームで夜間滞泊の6013F。



2087Fは5時43分に上り方へ発車。5時55分には保谷駅電留線の4番線へ入っていました。

この運用は、3月23日(火)は38107Fだったようで、6時50分ころの保谷駅電留線の4番線に38107Fがいました。保谷駅7時42分発の各停 池袋ゆき(5620レ)は、5605レで保谷駅へ到着し引き上げ線へ入った2087Fでした。38107Fの留置は続いていました。



清瀬駅4番線に夜間滞泊の6000系


前のダイヤと同様に清瀬駅4番ホームに、副都心線対応の6000系が夜間滞泊されています。



2010年3月26日、清瀬、右が4番ホームで夜間滞泊の6107F。


2010年3月26日、清瀬、右が4番ホームで夜間滞泊の6107F。

左は6152Fの4107レ。


3月26日(金)の場合、6時59分に4番ホームを発車し、駅下り方の引き上げ線へ入りました。エンド交換し、特急を待避した4502レが2番ホームから発車した後、7時7分に引き上げ線から2番ホームへ据え付けられました。そして7時11分発の6402レ(各停 新木場ゆき)で発車して行きました。



池袋発・清瀬折り返し・保谷ゆきで回送されて5618レ


2本ある池袋駅の電留線に4ドア車8連が夜間滞泊されるようになりました。

このうち椎名町方の4ドア車8連は、池袋駅を6時37分頃(5411レの後)に発車、保谷駅発車は6時53分頃。ひばりが丘駅1番ホームでしばし休憩し、発車は7時1分。



2010年3月26日 7時8分頃、清瀬、3番ホームから引き上げ線へ入る38107F。


2010年3月26日 7時8分頃、清瀬、3番ホームから引き上げ線へ入る38107F。


そして26日の場合ですが、清瀬駅3番ホームへ7時5分に到着しました。38107Fでした。清瀬駅 4番ホームに夜間滞泊だった6000系が引き上げ線から2番ホームへ入る(6402レ)と、代わりに、この下り回送の38107Fが7時8分、引き上げ線へ入りました。



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2010年3月26日 7時15分頃、清瀬、折り返し発車を待つ上り回送の38107F。

右端は5803レで4番ホームに到着した2097F。中央は6401レで3番ホームへ到着する清瀬止まりのメトロ10126F。



6402レが2番ホームから発車すると、7時14分に38107Fが引き上げ線から2番ホームへ入り、2106レが通過した後、7時17分に上り方へ発車して行きました。


23日(火)の場合は、この上り回送列車は保谷駅へ7時26分に到着。5618レ(保谷 7時27分発・各停 池袋ゆき)となり発車して行きました。

池袋駅夜間滞泊のもう1本は、この回送列車より早く、6時ころに池袋駅を出発し下り方へ回送されます。こちらについては未だ調査できておりません。



2010年3月23日 7時26分頃、保谷、上り回送で到着した20151F。


2010年3月23日 7時26分頃、保谷、上り回送で到着した20151F。

ホームに並んでいるのは20151Fの5618レの乗客の皆さん。発車後、ホームは空となりました。

奥に、電留線にまだ居残りの38107Fが見えます。

また保谷駅の工事が進み柵が立ち、ここからの上り列車撮影は不可能となっています。




5803レで清瀬駅へ到着した4ドア車8連は引き上げ線へ


3月26日(金)の場合ですが、5803レ(池袋 6時39分発・各停 清瀬ゆき)は定刻の7時8分、清瀬駅4番ホームへ到着しました。

引き上げ線は、夜間滞泊の6000系や清瀬折り返しの回送列車、そして6401レ~6404レで埋まっているため、しばらく4番ホームに留置。6404レとなるメトロ車が引き上げ線から出た後、7時26分に引き上げ線へ入りました。



2010年3月26日 7時27分、清瀬、4番ホームから引き上げ線へ入る2097F。


2010年3月26日 7時27分、清瀬、4番ホームから引き上げ線へ入る2097F。


2097Fが去った4番ホームの発車案内表示は空白となっていました。清瀬折り返しの列車は2番ホーム着発となるようです。引き上げ線はこのまま5803レだった編成が留まると思われます。この後、清瀬駅始発の最初の各停 池袋ゆきは8時59分発の5808レです。こちらへ充当されるのでしょうか? 「回送」表示で引き上げ線へ入った点が気になります、が。



宿題



  • 池袋駅を6時5分ころ発車する下り回送列車のその後。
  • 保谷駅電留線・4番線に6時前に入った車両のその後
  • 5803レから清瀬駅引き上げ線へ入った車両のその後
  • 清瀬駅4番ホームへ夜間滞泊になる列車

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2010年3月25日 (木)

10年3月25日の西武線、重箱の隅

いろいろ書きたいことはありますが、長くなるので、2010年3月25日(木)の西武線のコマカイお話です。



2010年3月25日、練馬、左が(<-飯能)1245F+1241Fの5519レ。


2010年3月25日、練馬、左が(<-飯能)1245F+1241Fの5519レ。

右は2063Fの5520レ。所定ならば5520レが発車してから5519レが到着するので、1241F+1245Fの編成写真が撮れます。

今晩は6646レが4分も遅れて到着したので、5519レの編成写真はダメでした。6646レの到着(練馬 18時51分着)よりも2166レ(石神井公園 18時48分発)の通過の方が早かったです。





元加治を始発前に下り回送が通過


5時13分ころに、仏子~元加治間を下り回送列車が通過しました。始発前です。

これと対となる上り回送列車は気付きませんでした。



5205レが20158F


いつもはN2000系8連の5205レが今朝は20158Fでした。



3108レが6508レより先に練馬駅に到着


所定では練馬駅到着は、6508レが7時12分で3108レが7時13分ですが、3月25日の3108レは中村橋~練馬間で6508レを追い抜き、練馬駅へ先に到着しました。到着時刻は7時14分。理由は不明です。

(3月31日 22時追記)



仏子駅20時25分発の上り回送なし


3月23日(火)の20時25分、仏子駅の中線から9000系の上り回送列車が発車しました。

本日は、この回送列車はありませんでした。

どちらがイレギュラーかは不明です。 3月30日・31日もこの回送列車はなかったので、23日がイレギュラーだったようです。(3月31日 22時追記)



後部標識がなくなった1217F、今晩は見えず


多摩川線から戻ってきた1217Fは、しばらく小手指車両基地の3番線のもっとも飯能寄りに留置されていました。

3月22日(月・祝日)の夕方は同じ場所にいたのですが、23日(火)の朝は消えていました。そしてその日の夜は2番線の飯能寄りに再び姿を現しました。翌朝、同じ場所の1217Fは赤丸の後部標識を付けていませんでした。連結器は自動連結器のままでした。

25日(木)朝まで同じ場所に見かけましたが、夜は再び姿を消しました。



2608レの38106F、不安な発車


新宿線の2608レは38106Fでした。定時の運転で、所沢駅2番ホームから6時35分に一旦発車しましたが加速は鈍く、10メートルほど進んで停車。1分ほどしたら再び発車し、いつもより鈍い加速で駅を出ていきました。

最後部から見ていましたが、危険人物等はいなかったと思います。出発反応標識も点灯(上向き矢印を表示)していました。

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2010年3月24日 (水)

ライオンズHMが付いた西武6116Fと38102F

公式ウェッブサイトにもお知らせが掲載されていますが、プロ野球 パ・リーグの2010年公式戦が開幕した3月20日(土)から埼玉西武ライオンズのヘッドマークを付けた車両を西武鉄道は運転しています。

池袋線は6116F、新宿線は38102Fです。

2010年3月20日、秋津、4116レの6116F。
2010年3月20日、秋津、4116レの6116F。

3月20日(土)から22日(月・祝日)の三連休は西武ドームでライオンズ対千葉ロッテ戦があり、土休日デーゲームダイヤでした。お知らせで公表されていたように、6116Fは4355レ(池袋 12時3分発・準急 西武球場前ゆき)に充当されていました(22日は未確認)。
3月23日(月)は地下鉄直通運用に入っていました(4548レ)。

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2010年3月24日、所沢、5804レの38102F。

新宿線は38102Fでした。初日の20日(土)は5453レ(田無 12時11分発・各停 玉川上水ゆき)でした。

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2010年3月23日 (火)

西武2063Fに6回 出会った10年3月23日

西武N2000系8両固定編成で唯一 行き先・種別表示が幕方式で残っている2063Fに2010年3月23日(火)は6回 出会いました。

2010年3月23日、小手指、発車した2063F+2455Fの5109レ。
2010年3月23日、小手指、発車した2063F+2455Fの5109レ。

寝坊したので朝は鉄活動はお休みと思いつつ、到着した小手指駅で下りホームを見ると、停車していたのは(<-飯能)2455F+2063Fでした。
4番ホームから6時28分、5109レ(各停 飯能ゆき)で発車して行きました。

2010年3月23日、保谷、2063F+2455Fの2502レ。
2010年3月23日、保谷、2063F+2455Fの2502レ。
写真的にはNGな構図ですが、保谷駅が2面3線に改良されるとこの場所に立つことはできなくなると予想しての撮影です。
下りホームは飯能方へ移動すると思われます。

飯能に到着後は2502レ(飯能 6時52分発・通勤急行 池袋ゆき)になっていました。上り線が切り替わった保谷駅で撮影しました。

池袋からは2251レ(池袋 7時57分発・急行 小手指ゆき)となっていました。

2010年3月23日 18時55分、練馬、急行線を通過する2063F+2455Fの上り回送列車。
2010年3月23日 18時55分、練馬、急行線を通過する2063F+2455Fの上り回送列車。

そして夕方の練馬駅。18時55分に2455F+2063Fの上り回送列車が急行線を通過しました。前のダイヤでは、N101系10連・小手指出庫遅出の運用だった列車です。保谷駅電留線での日中の滞泊はなくなり、小手指車両基地からの回送と思われます。

そして4869レ(池袋 19時13分発・通勤準急 小手指ゆき)となり、20時10分ころは小手指駅の引き上げ線に「回送」表示で止まっていました。

本日 19時18分頃、JR東日本・目白駅付近の山手貨物線で飛来物(衛星放送受信用のパラボラアンテナ?)が架線に引っかかり停電(大きな音がしたということなのでおそらく地絡したのでしょう)、付近を走っていた埼京線の暗い車内に2時間ほど乗客 計約2000人が閉じ込めらたようです。

ドアコックを使って勝手に線路に降りる乗客はいなかった模様。

皆さん、従順過ぎるような気がしないでもありません。10年ほど前は、日中に駅間で止まった列車から乗客が線路に勝手に降りてJRが困ったことがあったと思います。最近は、違うようですね。

今日はあまり風が強くはなかったですし、いたずら(業務威力妨害?)でしょうか? 事故翌日、JR東日本から「飛来物の正体」が発表されました。利用者サービスで設置したインターネット接続用WiMAXの配線ケーブルがたわんで列車と接触、切断されたケーブルが架線にからみショート・停電したそうです。

室内用のケーブル留め具(タイラップ)を誤って屋外に使っていたので紫外線で劣化したと報道されています。埼京線下り列車の運転台窓にたわんだケーブルが当たったことが発端なようですから、架線より下に垂れ下がっていたわけです。ケーブル配線は、そんなにユルユルなものなのかな、と思いつつ。

(3月27日22時 事故原因に間する記述を修正)


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2010年3月22日 (月)

10年3月22日から西武多摩川線で真っ白なN101系が運用開始

2010年3月22日(月・春分の日)から西武多摩川線で、N101系4両編成が運用を開始しました。

最初は、真っ白な車体に春をイメージしたイラストが描かれた1247Fでした。



2010年3月22日、多磨、153レの1247F。


2010年3月22日、多磨、153レの1247F。

西武鉄道は沿線の府中市の小学校に、春をイメージしたイラストを募集したそうです。応募作品の中から8点を、1247Fの制御車の側窓下にラッピングしました。

応募作品は3月19日から6月中旬まで武蔵境駅構内に展示されています。



2010年3月22日、武蔵境、駅コンコースの壁に掲示された応募作品。


2010年3月22日、武蔵境、駅コンコースの壁に掲示された応募作品。

1247Fの出発式は、22日10時20分から50分まで武蔵境駅ホームで行われました(予定)。

是政方にそれらしき準備がされていました。

武蔵境駅は2面あるホームのうち通常は3番ホームを使っているようですが、1247Fが9時41分ころに3番ホームへ回送されて来たので、141レ(9時42分発)から151レ(10時42分発)まで6本は4番ホーム発となっていました。



2010年3月22日、武蔵境、4番ホームへ到着する1221Fの140レ。


2010年3月22日、武蔵境、4番ホームへ到着する1221Fの140レ。

中央線の下りホームから撮影。

また1247Fが153レ(武蔵境 10時54分発)から営業に就いたので、150レ(武蔵境 10時47分着)だった1223Fは、153レの後を白糸台へ回送されていました。

1247Fの初列車を撮影した多磨駅はお彼岸ということで、近くの都立多磨霊園に向かう人が多く下車していました。駅構内の改札口近くには花屋さんもいました。お墓参りの人たちがターゲットなのだろうなと思い込みお聞きしませんでしたが、いつも営業されているのかもしれません。



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2010年3月22日、多磨、到着した151レの1219F。

改札口がある編成 反対側の武蔵境方は降車客であふれていました。



(3月23日 22時、多磨駅の駅名を修正。「多摩」となっていました。)

以下、まったくの余談

昨日の「お願いは、翼をください、だけ。余計なことしやがって、こんな体にされるならテメーなんかに頼まなかった、と毒つかれても神様は仕方がありません。」は、沖縄振興策に話を振らず、鳩山総理は無理しないで潔く県外移設はできませんと謝りなさい、と話を続けるのが、正しいロジックかもしれません。

鳩山総理は毒づかれても仕方がありません、と。

冗談はさておき、日本の安全保障に軍事力が必要と考える多くの皆さんは、沖縄に負担を押し付けている現状を心苦しく思っていることと思います。

沖縄へ旅行に行ってお金を一杯 使ったり、沖縄産の食料品を一杯 買ってあげたり、支援されていることでしょう、きっと。

お父さん・お母さんは、どうですか?


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2010年3月21日 (日)

10年3月21日始発から上りホームが新しくなった西武・保谷駅

工事中だった西武池袋線・保谷駅の新上りホームが、2010年3月21日(日)から使用開始となりました。



2010年3月21日、保谷、新上りホームを通過する4021F+4017Fの1104レ。


2010年3月21日、保谷、新上りホームを通過する4021F+4017Fの1104レ。

1102レは4023F+4003Fでした。北辰の梟はともに快速急行でした。


従来の島式ホームの上り線側はロープが張られています。



2010年3月21日 8時半ころ、保谷、新上りホームから旧上りホーム側を撮影。


2010年3月21日 8時半ころ、保谷、新上りホームから旧上りホーム側を撮影。

奥が飯能方。

私は6時15分ころに保谷駅に到着しました。切り替え地点付近で徐行はしていなかったようです。

ひばりが丘側の切り替え地点です。保谷3号踏切から撮影しました。



2010年3月21日、保谷、保谷3号踏切から駅方を撮影。


2010年3月21日、保谷、保谷3号踏切から駅方を撮影。

右から、下り本線・引き上げ線・旧上り線・新上り線、電留線の2番線・3番線。



旧・上り線の下り方端には古枕木がレール上に横たわり、車止めの後ろ姿らしきものが見えます。このまますぐに引き上げ線に使う気か、と疑われますが、保谷駅・飯能方の配線は以前のままなので下りホームからこの線に現在は入れません。

切り替え地点を通過する6112Fの快速 渋谷ゆきです。



2010年3月21日、保谷~ひばりが丘、6112Fの3624レ。


2010年3月21日、保谷~ひばりが丘、6112Fの3624レ。

運用番号は「21S」を表示。休日デーゲームの野球臨時ダイヤでメトロ車運用を代走と思われます。

6112Fは朝は30M運用で3604レでした。そして13時7分に秋津駅を通過していました。21S運用の下り回送でした。

3609レが21S運用です。この列車は時刻表では、デーゲーム開催日は所沢で飯能ゆきへ乗り換えとなっています。3609レ自体は西武球場前駅へ入ります。

一方で30M運用の3605レも同様に、デーゲーム開催日は西武球場前駅ゆきとなります。12時43分の西所沢駅2番ホームに6112Fがいました。

3605レで西武球場前駅へ入った6112Fは上り回送となり、清瀬駅で折り返し、所沢駅から21S運用の代走で地下鉄直通運用へ復帰、なのでしょう。


保谷駅のコンコースです。右が従来の島式ホームのエスカレーターです。下り方面ゆきだけのホームとなったので、大きな紙の行き先案内が柱へ追加となりました。

新ホーム(3番ホーム)の駅名標や番線表示は新デザインですが、ハングル表記はなしでした。



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2010年3月21日、保谷駅コンコース

右が従来の島式ホームのエスカレーター。

保谷3号踏切は工事のため、3月20・21・25・30日は23時30分から6時0分まで車両通行止めと看板が立っていました。

踏切の上り線側の池袋方は、電留線のコンクリート壁がすぐ脇に立っていたのですが、板1枚分(1メートルほど)、壊されていました。3月15日(月)には壊されていました。工事の都合でしょう。

以下、まったくの余談。

昨日は「翼をくださいと神様にお願いしたらカラスにされました、では、誰でもがっかり、でも文句は言えない。」と書きましたが、よく考えると、お願いは、翼をください、だけ。余計なことしやがって、こんな体にされるならテメーなんかに頼まなかった、と毒つかれても神様は仕方がありません。(補足もあります)

米軍普天間基地が沖縄県外へ移設されるなど夢のまた夢の気はしますが、県民が望んでいるのは基地県外移設だけ。万が一 県外移設に成功しても、民主党は悦に入って沖縄振興策を止めるようなことはダメです、ね。


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10年3月6日の改正後の西武線、気づいたこと(その4)

2010年3月6日(土)改正の西武鉄道の列車ダイヤで気付いたこと、第4弾です。



池袋線の平日夕方の下り通準・上り回送快速は4ドア車


前のダイヤでは主に3000系が担当していた、平日の4863レ(池袋 17時43分発・通勤準急 小手指ゆき)とその折り返しの3306レ(所沢 18時45分発・快速 池袋ゆき)は、新ダイヤでは4ドア車の列車となっています(4863レは15日だけ確認)。

なお2本の列車ともに改正で列車番号や運転時刻に変化はありません。



2010年3月19日、ひばりが丘、左が到着する2089Fの3306レ。


2010年3月19日、ひばりが丘、左が到着する2089Fの3306レ。



日中は国分寺線、夕方は新宿線の10連列車


日中は国分寺線で走っていた(N)2000系6連が夜は4連を増結して10連で新宿線を走っていました。

3月15日(月)の場合、5704レ(本川越 10時56分発・各停 国分寺ゆき)だった2011Fが、夜は2818レ(新所沢 18時16分発・急行 西武新宿ゆき)に(<-西武新宿)2501F+2011Fで入っていました。



2010年3月19日 6時21分頃、所沢、2番ホームを通過する2413F+2509F。


2010年3月19日 6時21分頃、所沢、2番ホームを通過する2413F+2509F。

珍しい組成でしたので夜は寄り道して東村山駅へ行ったところ、ちょうどやって来たのが2673レでした。

この日は所沢駅を6時42分ころに通過した新宿線 上り回送列車は1251Fでした。こちらはきちんと、夜も西武園線の折り返し列車に入っていました。



また19日(金)は、所沢駅を6時21分に通過した新宿線・上り回送が(<-西武新宿)2509F+2413Fでした。東村山駅に到着すると、国分寺線の運用に入ります(6610レからの模様)。このまま国分寺線で過ごすと思いきや、夜は(<-西武新宿)2509F+2413F+2541Fで2673レ(西武新宿 18時40分発・急行 本川越ゆき)となっていました。

なお15日(月)は競輪は開催なしでしたが、19日は場外発売だったので国分寺線は競輪ダイヤで運転されていたと思われます。

前のダイヤでもこういうことはあったかもしれません。



田無~玉川上水の区間列車、6連で決定は?


以前に、新ダイヤで田無~玉川上水間の各停は6連になったと記しましたが、3月20日(土)の5453レ(田無 12時11分発・各停 玉川上水ゆき)が38102Fでした。8両編成です。

13日(土)は5468レ(玉川上水 14時14分発・各停 田無ゆき)が2015Fで5461レ(田無 14時11分発・各停 玉川上水ゆき)が2033Fと、6連でした。

20日の38102FはライオンズHM付きでした。



2010年3月20日、田無、ライオンズHM付きの38102F(5453レ)。


2010年3月20日、田無、ライオンズHM付きの38102F(5453レ)。



土休日の小竹向原始発が飯能ゆきに


土休日 小竹向原5時46分発の下り始発列車は、前のダイヤでは小手指ゆきでしたが新しいダイヤでは飯能ゆきとなりました。列車番号は変化なく、6501レのままです。

平日は小手指ゆきのまま変化なしです(列車番号も6501レで変わらず)。

なお平日の、新木場6時0分発・各停 飯能ゆきは運転時刻・列車番号そのままに、メトロ車による運転が残っています。



2010年3月21日、保谷、6157Fの6501レ・飯能ゆき。


2010年3月21日、保谷、6157Fの6501レ・飯能ゆき。


強風で14分ほど遅れていたようです。本来だったらここでは撮影できないはずでした。

5601レは7分遅れで保谷に到着していました、が。



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2010年3月20日 (土)

10年3月20日 夕方、西武 清瀬駅上りホームに入った4000系下り回送

以下のお話は、ひばりが丘駅で急病人対応をして下り列車が2分ほど遅れていたことが原因かもしれません。2分ほどの遅れでこんなこと、しないとは思いますが、念のため。


西武池袋線の清瀬駅2番ホーム(上り副本線)に2010年3月20日(土) 17時44分、(<-飯能)4017F+4021Fの下り回送列車が到着しました。

17時46分に2149レが3番ホーム(下り本線)を通過、17時48分に4番ホーム(下り副本線)へメトロ7033Fの6751レが到着。そして17時50分に10111Fの27レが3番ホームを通過しました。

27レは2本の列車を追い抜きました。



2010年3月20日 17時50分、清瀬、下り列車3本の並び。


2010年3月20日 17時50分、清瀬、通過する10111Fの27レ。

左端は4017Fほかの下り回送列車。右端はメトロ7033Fの6751レ。下り列車が3本並んだ清瀬駅でした。


6751レは17時51分に発車するも、4000系下り回送列車はそのまま。17時52分に3番ホームへメトロ7004Fの4701レが着発。その後、17時55分に4000系下り回送列車は発車して行きました。



2010年3月20日 17時55分頃、清瀬、2番ホームから発車した4021F+4017Fの下り回送列車。 title=


2010年3月20日 17時55分頃、清瀬
2番ホームから発車した4021F+4017Fの下り回送列車。

この編成は朝は1001レでした。夕方の1002レで池袋駅に17時11分に到着し、飯能へ戻る途中だったのでしょう。

飯能駅到着後は5045レ(飯能 18時33分発・各停 西武秩父ゆき)になるようです

ところで本日、某駅の人気のないホームの端で電車を待ちながら、「翼をください」を歌っていました、小さな声で。歌い終わったところでカラスが「カー」と飛んで行きました。

ユーモアのセンスあふれるカラスでした。

翼をくださいと神様にお願いしたらカラスにされました、では、誰でもがっかり、でも文句は言えない。(補足もお読みください)

話は変わって、米軍普天間基地の移設問題。県外に移設されなかったら、こちらは誰でも(日本の)民主党に文句 言えます。

歌とカラスのお話は、実話です。


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2010年3月19日 (金)

今晩の西武池袋線 元加治駅と仏子駅

2010年3月19日(金)は東村山駅界隈でも話題があるのですが、また後日ということで、簡単に。

元加治駅を発車した3126レの20106Fです。右上に1番ホームの、ハングル入りとなった案内板が見えます。この上に蛍光灯があるのですが、消えています。3月8日夜も消えていました。

もう夜は10日間ほど、1番ホームの案内板は薄暗い中にたたずんでいます。実際は、この写真よりももっと暗く見えます。

2番ホームの案内板は蛍光灯に明るく照らされています。



2010年3月19日、元加治、20106Fの3126レ。

2010年3月19日、仏子、217Fほか。
そして左の写真は仏子駅に到着した2178レの271F+1303Fです。

下弦の月が大きく見えもっと素敵な風景でしたが、写真にしてしまうと、大したことはありませんね。

元加治駅の点かない蛍光灯。

この蛍光灯が点かなければ改良工事は未完成、支払いは延期、工事の遅れで違約金ももらいます、とか言うことはないでしょうが、駅員さんが気付いていないとも思えません。

怖いので、駅員さんにはお知らせしておりません。


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2010年3月17日 (水)

10年3月6日の改正後の西武線、気づいたこと(その3)

2010年3月6日改正の西武鉄道の新ダイヤで気づいたこと、第3弾です。早朝の池袋線 保谷関連です。



東長崎駅に夜間滞泊のメトロ車8連、保谷駅へ早朝に回送


皆さんのコメントで知った、6602レ(保谷 7時15分発・各停 渋谷ゆき)用のメトロ7000系または10000系の8連の、東長崎駅での夜間滞泊です。

3月17日(水)は、朝 6時ころの東長崎駅1番ホーム(下り副本線)にメトロ7033Fが止まっていました。6時20分すぎに乗務員さんがやって来て(上り列車で到着)、パンタグラフが上がり、点検が始まりました。



2010年3月17日、東長崎、留置中のメトロ7033F。


2010年3月17日 6時6分頃、東長崎、留置中のメトロ7033F。

左は通過する、4103レの6152F。


私は5411レで東長崎を発ち、練馬高野台駅へ。

5803レが練馬高野台駅に到着するとその後ろから、急行線をメトロ7033Fがやって来ました。「19S 回送」を表示していました。

5803レ発車後、急行線から緩行線へ転線し、6時56分に到着。4201レの通過後、6時58分に保谷駅へ発車して行きました。



2010年3月17日 6時56分ころ、練馬高野台、メトロ7033Fの下り回送列車。


2010年3月17日 6時56分ころ、練馬高野台、メトロ7033Fの下り回送列車。

池袋方の渡り線を通って、急行線から緩行線へ転線中です。



日付が変わりますが3月12日(金)。4201レが保谷駅を発車すると、メトロ7029Fの下り回送列車が保谷駅へ到着。引き上げ線へ入りました。

そして4502レが発車すると、引き上げ線から上りホームへ進入。6602レとなって7時15分に渋谷へ向け発車して行きました。



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2010年3月12日、保谷、左端が引き上げ線のメトロ7029F。

中央が4502レのメトロ10000系、右端は4番線に留置中のN2000系8連。

6時56分ころのひばりが丘駅1番ホームに2091Fの下り回送列車がいましたので、このN2000系が5618レとなるわけではないと思います。この時間帯の4番線はいつも、空いていたような、いなかったような、...。




早朝の池袋駅電留線から8連の下り回送列車が2本


3月17日(水)は元加治駅の始発電車(3102レ)で5時55分に池袋駅へ到着しました。同駅の電留線は2本とも埋まっていました。椎名町駅方20152F、7番ホーム側が2075Fでした。


2010年3月17日 5時55分頃、池袋、特急ホームへ入り込んだ2075F。


2010年3月17日 5時55分頃、池袋、特急ホームへ入り込んだ2075F。


2075Fの方は5時55分には入れ換えが始まり、7番ホームを通って特急ホームへ頭を入れていました。そして6時10分、下り回送列車で東長崎駅を通過して行きました。保谷駅 6時33分発の5612レへ充当でしょうか?

なお2075Fの下り回送列車の後に東長崎駅を通った20151Fは、保谷駅 6時40分発の5614レになっていました。

一方 20152Fの方は、下り回送列車で練馬駅を6時45分に通過して行きました。こちらは清瀬経由(?)の5618レでしょう。



清瀬ゆきに延長となった5605レ


改正前のダイヤでは、池袋駅 6時39分発の各停は保谷ゆきでした(5605レ)。新しいダイヤでは清瀬ゆきの5803レとなりました。保谷駅の時刻は7時1分で変化なしです。

5803レは清瀬駅到着(7時8分)後は下り回送と思われます。適当な折り返し列車がありません。保谷駅の電留線 一部使用停止の影響でしょうか?



保谷駅 電留線、2~4番線は使用


3月15日(月)の日中に保谷駅の電留線を見にいきました。2~4番線はレールの頭にサビはなく、入換標識も点灯していました。使用停止ではないようでした。

12日朝の4番線にN2000系がいましたが、これ以外、ダイヤ改正後は保谷駅の電留線はいつ見ても空です。保谷駅から発車する始発列車が使っているのでしょうか?

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2010年3月16日 (火)

10年3月12日の西武・狭山ヶ丘駅の夜間滞泊は271Fほか

2010年3月12日(金)は、4209レ(池袋 18時56分発・準急 小手指ゆき)に(<-飯能)271F+1303Fが入っていました。小手指駅到着後は狭山ヶ丘駅へ回送された模様で、20時すぎの同駅側線に留置となっていました。

写真は翌朝 13日(土) 7時26分ころの狭山ヶ丘駅です。



2010年3月13日 7時26分ころ、狭山ヶ丘、右側が留置中の271F+1303F


2010年3月13日 7時26分ころ、狭山ヶ丘、右側が留置中の271F+1303F。

左側は(<-飯能)4017F+4011Fの1104レ。





2010年3月13日 7時45分ころ、狭山ヶ丘、側線で始業前の点検中の1303F+271F。


2010年3月13日 7時45分ころ、狭山ヶ丘、側線で始業前の点検中の1303F+271F。


7時40分ころに271F+1303Fのパンタグラフが上がり、側ドアを開けたり点検が始まりました。

そして8時2分に側線を発車。小手指駅1番ホームへ回送され、4208レ(小手指 8時10分発・準急 池袋ゆき)となりました。

狭山ヶ丘駅の側線には9000系が多く夜間滞泊します。今晩は(<-飯能)32101F+38103Fでした、が。

ツートンカラーとなった271Fが狭山ヶ丘駅の側線に入るのは初めてかもしれません。


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2010年3月15日 (月)

10年3月6日の改正後の西武線、気づいたこと(その2)

2010年3月6日改正の西武鉄道の新ダイヤで気づいたこと、第2弾です。



3011Fが新時刻表のPR編成


2010年3月6日(土)に乗車した5605レの3011Fの車内中吊り広告は、西武鉄道の新時刻表だけとなっていました。天井肩の部分の広告は通常でした。



2010年3月7日、クハ3011の車内。


2010年3月7日、クハ3011の車内。

乗務員室仕切り壁の、松本零士氏のサインがボヤけて見えます。



新宿線の平日 5804レの車種変更


新宿線の平日の5804レ(新所沢 6時15分発・各停 西武新宿ゆき)が20000系または30000系の8連となりました。改正前は(N)2000系の8連でした。列車番号・運転時刻は変化なしです。



新宿線の平日 5266レが8連に


新宿線の平日 5266レ(玉川上水 11時34分発・各停 西武新宿ゆき)が改正で、(N)2000系の6連から20000系または30000系の8連に変わりました。

この筋の列車は改正前は5322レと称し、拝島始発(11時25分発)でした。新ダイヤでは、5974レ(拝島 11時25分発・各停 玉川上水ゆき)から5266レに乗り継ぐ形になりました。

前のダイヤでは日中、もう1本の6連各停が西武新宿に来ていましたが、そちらについては?



2010年3月10日、高田馬場~下落合、5266レの38102F。


2010年3月10日、高田馬場~下落合、5266レの38102F。



所沢駅7時前の新宿線 上り回送列車、変わらず


前のダイヤでも所沢駅を7時前に通過する、6連の新宿線・上り回送列車がありましたが、新ダイヤでも変化はなしでした。

3月15日(月)の場合、本川越方から東村山駅1番ホームに2019Fの上り回送列車が7時3分に到着。6616レ(各停 国分寺ゆき)となって7時7分に発車して行きました。



2010年3月15日 7時3分頃、東村山、本川越方から到着する2019Fの上り回送列車。


2010年3月15日 7時3分頃、東村山

本川越方から到着する2019Fの上り回送列車。

表示はすでに「各停 国分寺」になっています。



土休日 2本目の快速急行用4000系8連は、飯能到着後は入庫


3月14日(日)の1005レと1006レが(<-飯能)4001F+4005Fでした。

18時29分に池袋駅5・6番ホームに到着した1006レは下りの回送列車となり、飯能駅 4番ホームへ19時31分に到着しました。そして19時35分に5番ホームから44レが発車すると、19時36分に西武秩父方へ発車して行きました。武蔵丘車両基地へ入庫と思われます。

前のダイヤとの変更はないかもしれませんが、...。



2010年3月14日 19時31分頃、飯能、4番ホームに4001F+4005Fの下り回送列車が到着。


2010年3月14日 19時31分頃、飯能

4番ホームに4001F+4005Fの下り回送列車が到着。

右が2・3番ホームで発車を待つ4021Fの5049レ。左は10105Fの44レ。

最近は北辰の梟HMを快速急行の4000系で見ていませんでしたが、飯能~西武秩父間の折り返し運用に入っていたようです。




西武秩父ゆき快速急行は4ドア車8連で決まり、な模様


これまで3000系とたまにN101系が入っていた、土休日朝に2本ある池袋発・西武秩父ゆき快速急行が新ダイヤではN2000系や20000系の8連に変更となったようです。1本ある、夕方の復路の快速急行も同様。新ダイヤとなって四日あった土休日のうち、チェックできた三日はすべて4ドア車での運転でした。



2010年3月13日、練馬高野台、20152Fの1007レ。


2010年3月13日、練馬高野台、20152Fの1007レ。


3月6日(土)は1003レ(池袋 7時35分発)が2089F、1007レ(池袋 8時35分発)が2085Fでした。1004レは未チェック。

7日(日)は1003レが2073F、1007レが2065F、1004レ(西武秩父 16時30分発・快速急行 池袋ゆき)が2065Fでした。

3月13日(土)は1003レが20000系、1007レが20152F、1004レが20152Fでした。

14日(日)は用事があったのでチェックしていません。 1003レが2087F、1007レが2075Fでした。1004レは見ていません。(3月16日 21時修正)

本日の夕方、外国人に参政権を許すと日本は大変なことになると危機感を煽る街頭演説が、西武新宿線の高田馬場駅ホームに聞こえてきました。

どうして外国人をそんなに恐れる、ここは日本だぞ、と思ったりしました。


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2010年3月12日 (金)

西武38106FにガンダムHMが付いていました

100312babaoti22010年3月11日(木)夕方、西武新宿線の5129レの38106Fにヘッドマークが付いていました。

そして12日(金)の朝、この38106Fとお会いできました。ヘッドマークには「KAMI IGUSA GUANDAM(スタンプラリー実施中)」と書かれています。

下の写真は12日の5029レ(各停 上石神井ゆき)の38106Fです。マークのデザインは両端で同じようでした。



2010年3月12日、高田馬場~下落合、38106Fの5029レ。


2010年3月12日、高田馬場~下落合、38106Fの5029レ。

なお38101Fは相変わらずキッズデザイン賞のヘッドマークをつけて走っています。



2010年3月12日、所沢、5804レの38101F。


2010年3月12日、所沢、5804レの38101F。

ところで子供と言えば、下の写真は今晩の西武電車の中吊り広告です。

この時代、子供の不登校などそう珍しくもないだろうに、この様に騒ぎ立ててはかわいそうです。



2010年3月12日、西武電車の『週刊新潮』中吊り広告


2010年3月12日夜、西武電車の『週刊新潮』の中吊り広告

ついでに、数日前の月刊誌『文藝春秋』の中吊り広告です。右端に「小沢一郎よ あなたは陛下のご体調をかんがえたことがあるのか 天皇の執刀医が直言」とあります。

天皇が神である時代へ逆行することはおそらくないのでしょう。



2010年3月10日夜、西武電車の『文藝春秋』の中吊り広告


2010年3月10日夜、西武電車の『文藝春秋』の中吊り広告

子供はスタンプラリーで駆け回ったり、運動会でガッツポーズをとったりするものです。中にはいじめ・いじめられることもあるでしょう。

天皇だって人間です。その孫が困難に直面しているからと週刊誌で騒ぎ立てるのはいかがなものかと思う次第です。

上井草駅前でも街頭演説をされる自民党の石原 伸晃さん、いかがでしょうか?(こんな鉄ヲタブログを閲覧されないこととは思いますが)

多くの方が日本の安全保障に必要とお考えの軍事力、多くの負担を我々 多数派の日本人は沖縄の人々に押し付けています。

しかし多数派の日本人が特定の人たちに負担を押し付けているのは、これだけではないと思います。

愛子ちゃんは、衆人環視の中、今の困難を乗り越えることでより立派な人間に成長するかもしれません。まだ8歳 9歳だからと言って、衆人環視に気づかないとは思えません。周囲の緊張感は、普通の子供の場合とは異なるはず。そのような異様な状況の試練を彼女に与えているのは我々 多数派の日本人である、しかし彼女がそうせざるを得ない、という面もあると私は思います。

だからと言って周囲の大人が、彼女から今回の試練を遠ざけるべきではありません。天皇制が存在する日本において、これは彼女に必要な試練です。人間として成長するために必須の普遍的な試練ではないし、大人が子供に本来は与えるべきでない試練だと思いますが、仕方がありません。(3月13日 19時、青字部分を追記し一部削除)

とは言うものの、本来の君主制ならば成人するまでは愛子ちゃんを放っておいても問題はないと思います。小さいころから周囲が騒ぎすぎると素直な人に育ってくれないかもしれません。

売れる記事を掲載するのが週刊誌。この中吊り広告は、日本人の多数派を表現していることになります。それを考えると、多数派のこういった日本人の「統合の象徴」をやるかもしれない子供には「必要な試練」なのだろう、ということですので、念のため。

イギリスも、同じようではあります。大衆はどこも同じ?

(3月13日 19時50分、緑字の部分を追記) (3月15日 22時40分 年齢を修正)

なお上井草のスタンプラリーについて、西武鉄道のニュースリリースはありませんし、インターネットで検索してもこの時期の実施は見つかりませんでした。お出かけの際はご注意ください。


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2010年3月11日 (木)

10年3月11日、最近の西武線

最近の西武線です。



1217Fは小手指車両基地に留置中


2010年3月7日(日)に西武池袋線の小手指車両基地へ到着した、元・多摩川線の101系・1217Fは、小手指車両基地の3番線・もっとも飯能よりに留置されています。赤丸の後部標識や自動連結器もそのままです。



2010年3月9日 6時40分ころ、小手指車両基地、飯能方に留置中の1217Fほか。<br />


2010年3月9日 6時40分ころ、小手指車両基地、飯能方に留置中の1217Fほか。


8日(火)夜と9日朝は1217Fの池袋方に1241Fが留置。9日夜と10日朝は1217Fも消えていましたが、10日夜から再び3番線・もっとも飯能よりに1217Fが復活でした。11日(木)夜は1217Fの池袋方に1241Fも復活していました。両者は連結してはいません。

1217Fはこのまま他社へ譲渡だったりするでしょうか?



3月9日の雪の夜


3月9日(火)夜の西武沿線はかなり強く雪が降りました。N101系10連は池袋線で2本、新宿線で2本見かけました。



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2010年3月9日、西所沢、287F+1301Fの4875レ。

帰りが遅かったので、結果的に、雪の夜のこんな時間に電車の写真を撮ることになってしまいました。

4875レはおよそ3分遅れでした。



19時半ころは、正丸駅付近で停電が発生し高麗~西武秩父間が運転見合わせとなっていました。19時50分ころには運転再開したようです。

21時ころは、所沢付近の池袋線はおおよそ5分の遅れ。

翌朝は東吾野~吾野間で倒木があり、東吾野~西武秩父間が始発から運転見合わせとなっていました。



3月10日、雪の朝の車種変更


起きると一面が雪だった、3月10日(水)の朝は車種変更が見られました。

まず新宿線の2604レが2003Fでした。いつもはN101系10連の列車ですが、この日は4ドア車8連。



2010年3月9日、所沢、2005Fの2604レ。


2010年3月9日、所沢、2003Fの2604レ。


代わりに、4ドア車10両固定編成の2610レが(<-西武新宿)1309F+281Fでした。なお4806レはいつものように(<-西武新宿)1311F+295Fでした。



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2010年3月9日、石神井公園、3番ホームへ到着する1303F+275Fの2506レ。

前のダイヤでもN101系10連の通勤急行がありましたが、石神井公園駅は4番ホーム着発でした。



池袋線では2102レや2506レが(<-飯能)275F+1303Fでした。いつもは4ドア車の列車。



前日の影響? 3月11日朝は新宿線にN101系10連が3本など


前日の車種変更の影響でしょうか。3月11日(木)朝の新宿線ではN101系10連が3本走っていたようです。

4806レが(<-西武新宿)1311F+N101系2連、1601レが(同)1309F+N101系2連、2754レが(同)1251F+1253F+285Fでした。

お昼の3309レも(同)1309F+281Fでした。



2010年3月11日、高田馬場~下落合、1251F+1253F+285Fの2754レ。


2010年3月11日、高田馬場~下落合、1251F+1253F+285Fの2754レ。


池袋線では(<-飯能)287F+1301Fが3120レでした。

2168レもN101系10連でした。おそらく(同)275F+1303Fです。



2010年3月11日、西所沢、左が287F+1301Fの3120レ。


2010年3月11日、西所沢、左が287F+1301Fの3120レ。

右は32101F+38103Fの4867レ。

昨日、階段ですべってしまいました。尻を強く打ち、痛かった。

昨日はシートに座るのも一苦労でした。本日も階段を登るときは、不自然な姿勢でないと痛くてたまりませんでした。

そんなわけで、運用チェックはサボリ気味、でした。


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2010年3月10日 (水)

10年3月6日の改正後の西武線の平日ダイヤ、気づいたこと

みなさんからコメントをいただき勉強させていただいておりますが、西武鉄道の2010年3月6日(土)改正ダイヤ・平日で気づいたこと、です。

なお9日(火)の朝と10日(水)の夜はほとんどチェックしていません。



新宿線の2本目の通勤急行が(N)2000系4+4+2連


2802レが3月8日(月)は(<-西武新宿)2417F+2511F+2533F+2511F、10日(水)は(同)2409F+2529F+2503Fでした。

8日の、新宿線の2本目の通勤急行 2754レが2417F+2511F+2533Fでしたので、2754レは今後(N)2000系の2+4+4連が定番となる模様です。



2010年3月8日、高田馬場~下落合、2417F+2511F+2533Fの2754レ。


2010年3月8日、高田馬場~下落合、2417F+2511F+2533Fの2754レ。

ブレてしまい変な写真で、お恥ずかしい。



新宿線の5605レと5269レの縁が切れる


前のダイヤでは、5605レが(N)2000系の2+8連で、その8連が5269レに入っていました。

しかし3月8日(月)は、5605レが(<-西武新宿)2419F+2061Fで5269レが2007Fでした。10日(水)は5605レが(<-西武新宿)2401F+2001Fで5269レは2059F(5814レで確認)でした。



2804レが10両固定編成に


これまで所沢駅 6時4分発の急行 2804レは、(N)2000系の4+6連ばかりでしたが、3月8日(月)は6101F、10日(水)は6102Fでした。

9日(火)は未確認です。

なお2802レと2804レ以外の、朝 6時50分までの1時間に所沢駅を通る列車の車種に変更はないようです。(3月11日 21時40分削除、別エントリーで補足予定)



2010年3月8日、所沢、6101Fの2804レ。


2010年3月8日、所沢、6101Fの2804レ。



新宿線の2610レ・3308レと5607レ・3309レ、4603レ・4251レの関係は変わらず


これまでと同様に、朝は2610レだった編成がお昼は3308レ、朝は5607レだった編成はお昼は3309レとなっていました。

3月8日は2610レ・3308レが20103FF、5607レ・3309レが6102Fでした。10日は2610レ・3308レが(<-西武新宿)1309F+281Fでした。

また8日の4603レと4251レが20101FFでした。



新宿線の6時台・所沢駅通過の上り回送2本は変わらず


毎朝6時21分ころと42分ころに所沢駅2番ホームを通過する上り回送列車は前のダイヤと車種・時刻ともに変化がありません。

なお前のダイヤでは6時55分ころ(5872レの前後)にも新宿線 上り回送列車がありました。(N)2000系の6連。こちらについては未確認です。



池袋線の所沢駅6時4分通過の上り回送が消滅


毎朝 6時4分に所沢駅の3番ホームを通過していた池袋線の上り回送列車が3月8日(月)と10日(水)はありませんでした。9日(火)は未確認です。



下り回送・清瀬ゆきが折り返し保谷始発の各停?


3月10日(水)の7時2分、ひばりが丘駅1番ホームから38107Fの下り回送列車が発車しました。

そして38107Fはその後、5618レ(保谷 7時27分発・各停 池袋ゆき)に入っていました。

早朝の池袋駅着の上り列車は折り返しの下り列車があるようです。池袋駅の電留線から清瀬駅へ回送し、清瀬駅で折り返し保谷始発の各停・5618レに充当でしょうか?

ひばりが丘 7時2分発の下り回送は8日(月)も見ました。

なお両日とも、7時5分ころの保谷駅の引上げ線は空いていました。



新宿線のN101系10連、朝は変わらず夜はプラス1?


3月8日(月)と9日(火)の夜、新宿線にN101系10連が2本 走っていました。

8日は、2679レが(<-西武新宿)1311F+295Fで2682レが(同)1253F+1243F+277Fでした。9日は2694レが(<-西武新宿)1309F+281Fで2689レが(同)1253F+1243F+277Fでした。

2679レ~2694レは厳しそうですし(本川越 20時9分着・20時40分発)、2682レ~2689レ(西武新宿 20時32分着・20時14分発)もあり得ません。所定の運用は不明。

朝はこれまでと変わらず、2604レと4806レにN101系10連が入っていました。


2010年3月8日、所沢、1311F+295Fの2679レ。


2010年3月8日、所沢、1311F+295Fの2679レ。


なお池袋線も夜はN101系2本が運用に入っています。こちらは、前のダイヤの武蔵丘遅出を武蔵丘出庫が担当、武蔵丘早出の夜の部だけ(小手指入庫)を小手指出庫が担当と思われます。

日中はまだまったくの未確認です

10日は、朝は運用変更があったようですし、夜はまったくの未確認で不明です。



地下鉄直通の運用番号、20番台・30番台が登場


3月9日(火)に乗車した3407レが運用番号「32M」を表示していました。

前のダイヤでは西武の地下鉄直通の運用番号は「02M~18M20M」と「52M~6?M70M」(試運転の78Mもあり、98Mもあった模様<3月12日 22時45分追記>)だったと思います。30番台・20番台にちょっと感動です。なお11日に乗車した4607レは44M運用でした。(3月11日 22時修正)

なお西武の運用番号の数字はすべて偶数ですが、東京メトロは奇数・偶数ともにあるようです。



2010年3月9日、入間市、6111Fの3407レ(32M運用)。


2010年3月9日、入間市、6111Fの3407レ(32M運用)。


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2010年3月 8日 (月)

西武・元加治駅にもハングル・中国語表記が出現

2010年3月8日(月)の夜、西武池袋線の元加治駅に降り立つと、やけにホームが明るいので見渡すと、階段天井の案内表示が光り輝いていました。新タイプの、ハングル・中国語入りに交換されていました。(今 思うと、朝も明るかったかも)



2010年3月8日夜、元加治


2010年3月8日夜、元加治


ホームの番線表示は昨年あたりに、電照式の新デザインに交換されました。ハングル・中国語はないタイプ。

1年ほどで交換されましたが、今度は、蛍光灯は入っていないようです。

ホームだけでなく駅舎内の表示(ホームの番線案内など)もハングル・中国語入りに変わっていました。エレベーターやトイレの案内表示は改装でハングル・中国語入りに変わっていたと思いますが。

切符売場は日本語と、ほんの少しの英語のままです。

また、小鳥駅長はまだ登場しておりませんが、赤外線センサー(?)付きの小鳥はまだ棲息している模様です。

ついでに。

東久留米駅の下りホーム・飯能方の、ホームの柵に貼られている駅名標がハングル・中国入りになっています。正式の駅名標は、以前に交換されたまま(新デザインでハングル・中国語なし)です。

本日はダイヤ改正後 初めての平日でした。N101系10連の運用は池袋線・新宿線ともに大きな変化はなかったり(代走ないしプラス1はあり)、いろいろ書きたいことはありますが、帰りが遅かったのでこの辺で。



2010年3月8日 20時3分頃、小手指、入線する1303F+275Fの2254レ。


2010年3月8日 20時3分頃、小手指、入線する1303F+275Fの2254レ。

昨年まで無人だった駅にもハングル・中国語が進出する時代です。永住外国人の参政権くらい、認めてあげてはいかがでしょうか?

  > 自民党・国民新党・民主党の一部の方々



バリアフリー化工事が終わった西武・元加治駅の補足」へ。

西武池袋線 元加治駅の小改良」(4月27日付け)へ。


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2010年3月 7日 (日)

10年3月7日、新ダイヤ2日目の西武線

ダイヤ改正二日目の2010年3月7日(日)の西武線です。



新宿線、本日もN101系10連が2本登場


本日も新宿線にはN101系10連が2本、運用に入っていました。

(<-西武新宿)1253F+1243F+277Fが2623レや4619レ・3315レ、(<-西武新宿)1311F+295Fが3318レでした。



2010年3月7日、東村山、277F+1243F+1253Fの4619レ。


2010年3月7日、東村山、277F+1243F+1253Fの4619レ。





2010年3月7日、高田馬場~下落合、295F+1311Fの3318レ。


2010年3月7日、高田馬場~下落合、295F+1311Fの3318レ。



国分寺線にもN101系6連


国分寺線で(<-西武新宿)285F+1251Fが走っていました。6672レや5705レに入っていました。

なお本日は競輪開催日ダイヤで運転されていました。西武園線の線内折り返しが6連となったわけではないようです。本日も場外発売だけです。



2010年3月7日、東村山、1251F+285Fの5705レ。


2010年3月7日、東村山、1251F+285Fの5705レ。



池袋駅の電留線


朝8時ころの池袋駅電留線は、駅側が2083F、椎名町駅方が20152Fでした。

15時40分ころは、2083Fと入れ替わりに(<-飯能)2459F+2079Fがいました。

そして17時0分に25レが発車すると、20152Fが電留線から7番ホームへ入線し、4215レとなりました。



2010年3月7日 17時8分頃、池袋、電留線から7番ホームへ向かう20152F。


2010年3月7日 17時8分頃、池袋、電留線から7番ホームへ向かう20152F。


時刻表を見ると、18時40分発の2159レが7番ホーム発で、対応する7番線着の列車がありませんので、電留線の車両が充当されると思われます。2線とも空きます。

22時ころの7番ホームは、22時9分着の3310レと22時27分着の5232レがあります。7番ホーム・22時20分発の2189レがありますから、5232レの編成だけが電留線に入ると思われます。1線、まだ空です。

他に7番ホーム着で電留線に入りそうな列車はありません。

土休日の早朝に池袋駅に留置される2本のうちの1本が正体不明。一体どうなっているのか?

また平日も、朝から池袋駅に2本を留め置くのか?

興味が湧きます。



6152Fが池袋線の地上線運用


池袋線の6000系で唯一お顔が銀色のままの6152Fが池袋線の地上線運用に入っていました。4353レや4369レ・2149レで見ました。



2010年3月7日、秋津、6152Fの2149レ。


2010年3月7日、秋津、6152Fの2149レ。



秩父方面の快速急行


1001レが(<-飯能)4001F+4005F、1003レが2073F、1005レが(<-飯能)4007F+4019F、1007レが2065Fでした。

そして夕方の1004レは2065Fでした。

本日も西武秩父ゆきは4ドア車のN2000系ばかり。



土休日、飯能発の地下鉄直通最終が繰り下げと清瀬止まりが所沢延長


前のダイヤでは飯能 16時47分発の4404レ(準急 新木場ゆき)が、飯能からの地下鉄直通列車の最終でした。

新しいダイヤでは18時49分発の4604レ(準急 渋谷ゆき)と、2時間ほど繰り下げられました。

また6751レ(渋谷 16時50分発・各停 所沢ゆき)が8連のメトロ7032Fでした。所沢駅で8連のメトロ車はあまり見かけなかったので、ちょっと感動でした。前のダイヤでは、平日の4705レ(渋谷 19時0分発・準急 小手指ゆき)~6708レ(小手指 20時12分発・各停 渋谷ゆき)がメトロ車8連でした。



2010年3月7日、所沢、到着したメトロ7032Fの6751レ。


2010年3月7日、所沢、到着したメトロ7032Fの6751レ。

7032Fはこのあと引き上げ線に入りました。


前のダイヤではこの時間帯の地下鉄直通は清瀬止まりが多かったようですが、新しいダイヤの土休日はこれがすべて所沢へ延長されました。ただし上りの各停 渋谷ゆきは、半分が清瀬始発です。

渋谷 19時0分発の6643レから清瀬ゆきに戻りますが、清瀬で21時を過ぎると終着の列車がまたほとんどなくなります。



多摩川線から1217Fが小手指車両基地へ戻る


多摩川線から101系低運車4連の1217Fが小手指車両基地へ到着しました。12時20分ころには到着したと思います。西武線内は263Fが牽引していました。

18時すぎ、1217Fは小手指車両基地の入り口に単独で止まっていました。下り列車からの目撃です。

写真は撮っているのですが、多摩川線へ行った1247Fと合わせてまた後日。


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2010年3月 6日 (土)

10年3月6日、ダイヤ改正初日の朝の西武池袋駅など

西武鉄道は2010年3月6日(土)、列車ダイヤを改正しました。多摩川線向けのN101系4連甲種輸送があったりであまり深くは観察していませんが、朝の留置車両や快速急行など、気づいた点です。

改正初日でもありますし、臨時の変更が含まれているかもしれません。悪しからず。



保谷駅はガラ空きで池袋駅に2本など、駅での夜間滞泊・留置


前の晩からの、狭山ヶ丘駅の夜間滞泊は20106Fでした。



2010年3月6日 6時10分ころ、狭山ヶ丘、側線に留置中の20106F。


2010年3月6日 6時10分ころ、狭山ヶ丘、側線に留置中の20106F。


所沢駅は、6時半ころは8連1本(38107F)だけで、これまではいた10連はありませんでした。

6時半すぎの清瀬駅4番ホームは6114Fが夜間滞泊。引き上げ線には20000系8連(おそらく20158F)がいました。

6時40分ころの保谷駅の電留線はきれいに空でした。以前であれば、3000系が3本は見えたはずです。



2010年3月6日 7時ころ、池袋、電留線で留置中の2091F(右)と2063F(左奥)。


2010年3月6日 7時ころ、池袋、電留線で留置中の2091F(右)と2063F(左奥)。


そして池袋駅の電留線に2063Fと2091F(駅側)がいました。時刻表を見ると、このうち1本は5655レ(池袋 15時5分発・各停 保谷ゆき)で出そうです。代わりに15時7分に到着する2158レの車両が電留線へ入りそうです。

また7番ホーム発・17時17分発の4215レ(準急 小手指ゆき)は対応する7番ホーム着の列車がないので、電留線の車両が入ると思われます。

土休日の池袋駅は、入れ替わりはあるものの、終日 留置がある感じです。甲種輸送を見ていたので、本日は、午後の池袋駅は未確認ですが。



5番ホーム発の秩父鉄道直通 快速急行


前のダイヤでは、土休日朝の西武秩父方面ゆきの4本の快速急行はすべて3番ホームから発車していました。新しいダイヤでは1001レ(池袋 7時5分発・快速急行 長瀞=三峰口ゆき)と1007レ(池袋 8時35分発・快速急行 西武秩父ゆき)が5番ホーム発となりました。



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2010年3月6日 7時5分頃、池袋、5番ホームで発車を待つ4007Fほかの1001レ

左は到着する64レの特急「むさし64号」。


横瀬駅で分割される秩父鉄道直通快速急行用に、3番ホームの中央の柱に案内板がありますが、5番ホームに新設はされていませんでした。ホーム床に、「この車両は長瀞ゆき」などの表示は追加されていました。

なお今朝の4本の快速急行は、1001レが(<-飯能)4007F+4019F、1003レ(池袋 7時35分発・快速急行 西武秩父ゆき)が2089F、1005レ(池袋 8時5分発・快速急行 長瀞=三峰口ゆき)が(<-飯能)4013F+4009F、そして1007レが2085Fと、3ドア車がありませんでした。


なお前のダイヤに比べて朝の4本の快速急行は全体的にスピードアップしています。



快速急行から戻ってもお仕事


18時25分、飯能駅の2・3番ホームに(<-飯能)4007F+4019Fの回送列車が入線し、5045レ(飯能 18時33分発・各停 西武秩父ゆき)となりました。

1001レだった編成ですので、1002レで池袋駅へ17時11分に到着し、折り返し回送で飯能駅へ戻ってきたのでしょう。

前のダイヤでも、日中は快速急行で秩父鉄道へ行っていた編成が、夜も、回送で飯能へ戻ると再び西武秩父ゆき各停に充当されることがあったこともあった、ようですが、よく分かりません(意識して見に行ったら、入庫だった時もあるので)。



3本ある急行 西武遊園地ゆき、1本が3000系


前のダイヤに引き続き、3本が設定されている西武新宿発・西武遊園地ゆきの急行列車は、始発・終着の時刻も変わっていませんが、2101レが2093F(折り返しの6042レで確認)、2103レが3013F、2105レが2061Fでした。前のダイヤでは3本とも(N)2000系8両固定編成の列車でした。3013Fは代走かもしれません。

なお6042レの2093Fは、小平駅到着後、上り方へ回送されていました。また3013Fは6044レで小平駅へ戻ると引き上げ線へ入り、折り返し5955レ(小平 11時4分発・各停 玉川上水ゆき)となっていました。



2010年3月6日、小平、2103レの3013F。


2010年3月6日、小平、2103レの3013F。



西武園線、線内折り返しが6連


東村山駅3番ホームを発車した、西武園線の6239レが2000系の6連でした。同ホームの発車案内によると6241レも4ドア車6連。

本日は場外発売日ですが競輪自体は開催されていないので、西武園線の線内折り返しは新ダイヤで、国分寺線との運用共通化で6連に統一、でしょうか?ませんが、3月7日(日)の観察結果から推測すると、競輪開催日ダイヤでの運転だったようです。(3月7日 21時35分修正)



田無~玉川上水間の各停が6連


玉川上水 10時14分発の各停 田無ゆき(5452レ)が2049Fと、6両編成でした。前のダイヤで拝島快速と同時に設定された田無~玉川上水間の各停はこれまで8連ばかりでした。

2049Fは田無から回送で小平へ10時48分に戻り、始発の各停 玉川上水ゆき(10時51分発、5953レ)となっていました。

前のダイヤでは小平 10時54分発の2315レ(西武新宿 10時27分発・急行 拝島ゆき)がありましたが、なくなってしまい、代わりと言っては失礼ですが、小平10時59分発の5325レ(西武新宿 10時17分発・各停 拝島ゆき)が設定されています。



2010年3月6日、小平、2049Fだけの5452レ。


2010年3月6日、小平、2049Fだけの5452レ。



新宿線にN101系10連2本


おそらく代走ですが、(<-西武新宿)281F+1309Fが2627レと2642レ、(<-西武新宿)1243F+1253F+295Fが2637レで走っていました。



2010年3月6日、所沢、295F+1253F+295Fの2637レ。<br />


2010年3月6日、所沢、295F+1253F+295Fの2637レ。



飯能駅、時刻表が「調整中」


18時すぎ、飯能駅の切符売場横の時刻表が白い模造紙に被われて、「調整中」と貼り紙がついていました。

これまで、ダイヤ改正の時は、ホームの時刻表は1週間ほど前に新しいものに差し替えられて、その上に、大きな紙に印刷された改正前の時刻表を貼り付けるというパターンが多かったと思います。

今回はそのようなことがなかったので、始発前に入れ替えられたのでしょう。

なお飯能駅も、ホームの時刻表はいつもと変わらないお姿でした。


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2010年3月 4日 (木)

10年3月4日まで三日間の西武線、ほか

2010年3月2日(火)から4日(木)までの西武線の電車たちです。



池袋線のN101系10連


平日は2本が運用に就く池袋線のN101系10連は、期間中は小手指出庫・武蔵丘出庫ともに遅出だったようです。いつものように夜の列車で確認しました。

3月2日(火)は車両番号を確認していませんが、3日(水)・4日(木)はともに、小手指出庫が(<-飯能)287F+1301F、武蔵丘出庫が(<-飯能)275F+1303Fでした。



2010年3月3日 18時36分頃、保谷、発車した287F+1301Fの上り回送列車。


2010年3月3日 18時36分頃、保谷、発車した287F+1301Fの上り回送列車。

左側の新・上りホームは3月21日から使用を開始すると西武鉄道のニュースリリースにありました。

国鉄に多くあった、島式1面・相対式1面の2面3線に最終的にはなる感じです。ただ当面は、現・上り線は使用停止となり、2面2線となるようです。




新宿線のN101系10連


平日は、朝2本・夜1本が運用に就く新宿線のN101系10連です。

3月2日(火)は、2604レが(<-西武新宿)1251F+1243F+281F、4806レが(<-西武新宿)1311F+277F、2812レが(<-西武新宿)1311F+277Fでした。

3日(水)は、2604レが(<-西武新宿)1311F+277F、4806レが(<-西武新宿)281F+1309F、2812レが(<-西武新宿)281F+1309Fでした。

そして4日(木)は、2604レが(<-西武新宿)281F+1309F、4806レはN101系ではなく(<-西武新宿)2057F+2413F、2665レが(<-西武新宿)277F+1311Fでした。



2010年3月3日、所沢、281F+1309Fの4806レ。


2010年3月3日、所沢、281F+1309Fの4806レ。

今週は前パンが多いです。



国分寺線用の所沢6時21分の上り回送


所沢駅を6時21分ころに通過する新宿線 上り回送列車は3月2日から4日までの三日間、(<-西武新宿)1253F+295Fでした。



2010年3月4日 6時21分、所沢、1253F+295Fの新宿線 上り回送列車。


2010年3月4日 6時21分、所沢、1253F+295Fの新宿線 上り回送列車。



始発前の池袋線の回送列車


3月4日(木)の朝4時50分頃、仏子~元加治間を、9000系またはN2000系(幕表示)の下り回送列車が通過しました。始発の前です。

2月14日(日)の始発前(4時43分頃)は上りの回送列車を目撃しました。車体色が見えたのでライトアップしていたのでは、と書きましたが、よく考えると、起きたばかりで暗闇に目が慣れていただけ、かもしれません。



10000系の異動


いつもは池袋線の10101Fと10106Fが新宿線へ、同じく新宿線の10110Fと10111Fは池袋線で走っています。



新宿線の車種変更


3月3日(水)の5806レが2057Fでした。いつもは3000系の列車。

4日(木)は、いつもはN101系10連の4806レが(<-西武新宿)2057F+2413Fでした(上述)。またいつもは20000系または30000系の8連の5029レが2003Fでした。



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2010年3月4日、高田馬場~下落合、2003Fの5029レ。



「のぞみ」の駆動系故障、焦げ臭いまま1時間以上走行


読売新聞の報道によると、3月3日夜の新幹線「のぞみ56号」で台車の歯車箱が破損し油が漏れ、車内に異音や異臭があるなか広島を発車。姫路では車内に煙が立ちこめるも新神戸まで乗客を乗せて運転したそうです。

なかなか凄いことです。普通は、広島発車後に乗客からの通報で異変を車掌が確認し、東広島や三原あたりで運転打ち切りとなるのでは?

事故車両は最新のN700系です。事故原因究明としっかりした対策実施、そしてどうして新神戸まで運転したのか、調査をお願いしたいと思います。


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2010年3月 1日 (月)

10年3月1日の西武線、清瀬駅の夜間滞泊変更など

2010年3月1日(月)の西武線、ほかです。



夜の小手指車両基地に1247F一党は見えず


朝 5時40分ころの小手指車両基地2番線のもっとも飯能よりに、(<-飯能)263F,1247F+E31形電機が見えました。電機は1両だけ。おそらくE31はどこかへ消えていました。

そして夜20時前、同じ場所は空でした。一党すべて消えていました。



清瀬駅の夜間滞泊変更で回送プラス2本と時刻変更のいつもの回送


清瀬駅の夜間滞泊がいつもと異なっていたようで、いつもはない池袋線・上り回送列車が2本、早朝の所沢駅を通過しました。5時53分ころに6113F、6時19分ころに2065Fでした。回送がプラス2本の時は、いつもこのパターンです。

一方で、毎朝6時4分ころに通過する上り回送列車はいつもと異なり、6時8分ころの通過でした。20151Fでした。



2010年3月1日 7時5分頃、東久留米、6113Fの下り回送列車。


2010年3月1日 7時5分頃、東久留米、6113Fの下り回送列車。


6時57分頃、いつもは6000系がいる清瀬駅4番ホームは空で、東久留米駅を7時5分ころに6113Fの下り回送列車が通過しました。そして6113Fは6402レ(清瀬 7時11分発・各停 新木場ゆき)に入っていました。


なお2月25日(木)も、清瀬駅の夜間滞泊変更で追加の上り回送列車が2本あったようです。

38107Fの回送列車が、6時10分ころの小手指車両基地 入り口で出番を待っていました。

そして6時20分ころの清瀬駅4番ホームは空で、6時38分ころの椎名町~池袋間で6112Fの下り回送列車とすれ違いました。



池袋線のN101系10連、小手指出庫は早出


小手指出庫のN101系は早出でした。4204レ(小手指 6時11分発・準急 池袋ゆき)が(<-飯能)287F+1301Fでした。この編成、夜は2172レ(飯能 18時48分発・急行 池袋ゆき)でした。いつもと違って、小手指入庫でしょうか?

一方 武蔵丘出庫はいつものように遅出だった模様で、3106レ(飯能 6時1分発・快速 池袋ゆき)は20105Fで、夜の2159レ(池袋 19時8分発・急行 飯能ゆき)が(<-飯能)275F+1303Fでした。



2010年3月1日、所沢、4204レの287F+1301F。


2010年3月1日、所沢、4204レの287F+1301F。



新宿線のN101系10連はノーマル


新宿線のN101系10連は、(<-西武新宿)1311F+277Fが2604レ、(同)1309F+281Fが4806レでした。

夜は(<-西武新宿)1311F+277Fが2812レでした。

いつものN101系10連のパターンです。

1309Fは夜は単独で、5634レでした。この列車もN101系8連が多いです。

なお国分寺線用の送り込みの、所沢駅6時21分ころの上り回送列車は(<-西武新宿)1253F+295Fと、久しぶりのN101系でした。



2010年3月1日 6時21分頃、所沢、通過する295F+1253Fの上り回送列車。


2010年3月1日 6時21分頃、所沢、通過する295F+1253Fの上り回送列車。



新宿線の5603レが遅れ


新宿線の5603レ(西武新宿 5時1分発・各停 本川越ゆき)は3分ほど遅れて5時49分に所沢駅へ到着しました。理由は特に放送されていませんでした。

その他の列車に遅れは見られませんでした。



池袋駅のちょっと寂しい出口で自民党豊島区議団が「外国人お断り」


8時ころ、池袋駅の少し人通りが少ない出口で自民党豊島区議団が外国人参政権に反対とアピールしていました。



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2010年3月1日 8時ころ、池袋駅前でアピールする自民党豊島区議団の横断幕。


お話を伺うと、外国人の国政への参政権は憲法で認められていない、したがって地方自治に与えても憲法違反、ということのようでした。

池袋で日本人と外国人が対立しているわけではない(チャイナタウン構想に反感を持つ人はいるようです)、自民党は外国人を排除する訳ではない、とも話していました。

外国人に参政権を与えると日本が乗っ取られると心配する人がいるようですが、日本人が圧倒的に多いのです。日本人が自治を真剣に考え投票すれば良いだけの話です。国籍を問わず、優秀な方が地方自治に参加すれば住民すべての利益となります。外国人を日本に取り込む一つの手段とも言えます。

保守の自民党ですから不安を覚えることは当然かもしれません。

ただお話の中で、歴史教科書が出てきました。道を誤った日本の歴史をまだ受け入れることができない幼稚な方でした。歴史教科書を好きにしたいという理由で外国人の参政権に反対するのであれば、バカバカしく、話になりません。

また外国人参政権が憲法違反とは、第15条の「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」を根拠としていました。

前文や第9条があるのに自衛隊を保持しつづけているのに、こちらについては随分 厳格なことです。

第12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」や第92条「地方公共団体の組織及び運営に閑する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」との合わせ技で、外国人参政権は合憲だと、私は思います。(3月2日21時10分 「燗」を「関」に修正。Anthyさんが酔っ払っていたようです。失礼しました。)

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