2012年12月の西武線の工事現場を二つ
2012年12月末の、西武線の工事現場です。
萩山~小川間の高架が完成していますが、それ以外。
保谷~ひばりヶ丘間、都道234号線の立体香坂で踏切移動
11月1日からなようですが、西武池袋線・保谷~ひばりヶ丘駅間の保谷第5号踏切が保谷方に移動し、都道234号線は踏切でくねりと曲がるようになりました。(リンク先はPDFファイル。(社)東京都トラック協会多摩支部のサイトです)
道路を地下化し、鉄道と立体交差に変わります。以前から工事は行われており、一時、線路が仮受けされていました。

2012年12月28日、保谷~ひばりヶ丘、下り列車から撮影。
手前が移動後の新しい踏切、奥の角材が並んでいる部分が以前の踏切位置、だと思います。
左奥に何やら大きな機械も見えます。道路の地下化に活躍しているのでしょう。
左奥に何やら大きな機械も見えます。道路の地下化に活躍しているのでしょう。
都道234号線の東側に新しい道路もできるようで、踏切から北北東へ空き地が続いています。
所沢駅、南口乗換通路が解体中
所沢駅では11月27日に新しい橋上駅舎が全面供用されました。
使用中止となった南側の乗換通路と改札口は解体工事が進んでいます。ホームから続く階段は骨格が残るだけ。写真は駅中央の2・3番ホームですが、右奥の1番ホームや、撮影時に立っていた4・5番ホームの旧階段も同じような感じです。
2・3番ホームの旧階段前に立っている警備員さんは列車が到着すると、南口は使用中止、中央改札を使ってくださいとハンドマイク(メガホン)で案内していました。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
本日の夜、乗車した電車
江古田~池袋 5510レ 2069F
改札を出て、用事を済ませた後、また入りました。
池袋~江古田 5535レ 2085F
投稿: N2000系未更新車及び9000系大好き | 2012年12月29日 (土) 22時10分
今日は私用で家にいませんでした。
誰か西武秩父行き快急教えてください。
投稿: 快急改めて急行奥武蔵 | 2012年12月29日 (土) 22時40分
保谷からひばりが丘間の工事のほか,所沢駅でも工事をやっているのですね。工事はいつまで続くのでしょうか。気になります。
投稿: 小手指嵐ちゃんクリニック | 2012年12月29日 (土) 22時43分
↑気になるんだったら自分で調べてみたら?ググるのもよし、ヤフーから行くのもよし。あなたの気になりますって言葉多すぎなのが気になります。
投稿: M2000系未更新車及び東急9000系大好き | 2012年12月30日 (日) 01時09分
今日は練馬でお買い物をしてきました。その際に乗車した電車は下記のとおりです。
江古田~練馬 5479レ 2089F
練馬~江古田 5360レ 38107F
今日のお昼頃、ちょっとだけ電車を観察していました。2457F+2073Fが2117レに入っていました。実は昨日の2117レも2457F+2073Fでした。昨日は、4319レが最後の運用だったはずです。その後、所沢駅電留線に入ったのか、小手指に入庫したのかは不明です。11月17日に2461F+2097Fが2117レに入りましたが、翌日朝の2097Fは単独で所沢駅電留線に留置されている情報があり、その後は保谷まで回送され、5732レから運用に入りました。
投稿: N2000系未更新車及び9000系大好き | 2012年12月30日 (日) 16時29分
みなさま、こんばんは。
29日は2069Fを確認できなかったのですが、動いていたんですね。30日朝は、狭山ヶ丘駅に9105F、所沢駅に32102F+38104Fと38107F、が夜間滞泊でした。
> N2000系未更新車及び9000系大好きさん
29日は、1003レが3003F(5105レだったので)、1007レが2075F(2104レだったので)、と思われます。
> 快急改めて急行奥武蔵さん
改良が終わるまで、工事は続きます。
> 小手指嵐ちゃんクリニックさん
Google様やYahoo!様がすべてを知っているわけではありません。
> M2000系未更新車及び東急9000系大好きさん
32104F+38112Fが2119レでした、個人的には、久しぶりの営業運転目撃でした。
投稿: 鈴木やす | 2012年12月30日 (日) 20時57分
保谷-ひばりヶ丘の踏切ですが、私はその近くに住んでおりまして日々変化する状況を眺めております。その踏切脇の細道からひばりヶ丘方面へ行くと有名なカーブと撮影地があります。その踏切の位置と形状が変更したため、西東京市のコミュニティバスの「はなバス」第5ルートの行路とバス停の位置も僅かに変更されました。
余談ですが、その踏切南側の脇に工事前には「三角山」と称する小さな盛土のようなものがありまして樹木が生い茂っていました。その山は人柱や生贄の人が埋められ、敷地の土砂や植物を採取すると祟ると言う言い伝えがあり、過去に実際に何人か亡くならたようです。前代の西東京市長はこの工事の開始と三角山の取り壊しを決定したところ、そのごすぐに病没されてしまいました。偶然か本物の祟りかはわかりません。三角山を取り壊した際に調査したところ動物の骨らしきものが出て来たようで近所の寺院により供養されました。
それではどうぞ安全には充分ご注意なさって取材されてください。
投稿: 空飛元 | 2013年1月 2日 (水) 11時19分
空飛元さん、こんばんは。
「三角山」の件、ありがとうございました。いろいろあるんですね。
投稿: 鈴木やす | 2013年1月 2日 (水) 22時29分