2025年2月 1日 (土)

2025年1月1日(水)は上信電鉄へ行って元・西武N101系を見てました

元旦の6時20分ころの高麗川駅。E231系とキハ110形2連の並びです。

2025年1月1日 6時20分ころ。高麗川。川越ゆきのE231系4連と、高崎ゆきキハ110形2連の並び。
2025年1月1日 6時20分ころ。高麗川。

川越ゆきのE231系4連と、高崎ゆきキハ110形2連の並び。

八高線の車内から日の出を愛でつつ(沿線にも日の出を待つ方々が見られました)、高崎へ。

下仁田ゆきに乗車し、西山名駅から高崎寄りへ少し戻ったところで2時間ほど撮影。

2025年1月1日 9時39分。山名〜西山名駅間。デハ252+クハ1301の下仁田ゆき。
2025年1月1日 9時39分。山名〜西山名駅間。
デハ252+クハ1301の下仁田ゆき。
2025年1月1日 9時49分。山名〜西山名駅間。クモハ501+クモハ502の高崎ゆき。
2025年1月1日 9時49分。山名〜西山名駅間。
クモハ501+クモハ502の高崎ゆき。
2025年1月1日 10時10分。山名〜西山名駅間。クモハ6001+クモハ6002の上州富岡ゆき。
2025年1月1日 10時10分。山名〜西山名駅間。
クモハ6001+クモハ6002の上州富岡ゆき。

元JRの107系電車で下仁田へ移動。

2025年1月1日 12時15分。下仁田。高崎へ発車したクモハ502+クモハ501。
2025年1月1日 12時15分。下仁田。

高崎へ発車したクモハ502+クモハ501。
ホームには元・JR107系の2連(クモハ702+クモハ752、「下仁田ジオパーク」車体広告車両)が留置中でした。

西吉井駅で下車し、雪山(草津白根山でしょうか?)が背景のところで元・西武新101系を撮らせていただきました。

2025年1月1日 13時53分。吉井〜西吉井駅間。クモハ502+クモハ501の下仁田ゆき。
2025年1月1日 13時53分。吉井〜西吉井駅間。
クモハ502+クモハ501の下仁田ゆき。
2025年1月1日 14時10分。吉井〜西吉井駅間。下仁田ゆきに留置されていたクモハ702+クモハ752が高崎ゆきでやって来ました。
2025年1月1日 14時10分。吉井〜西吉井駅間。

下仁田ゆきに留置されていたクモハ702+クモハ752が高崎ゆきでやって来ました。

根小屋駅で下車し、もう一度 黄色い元・西武新101系。

2025年1月1日 16時10分。佐野のわたし〜根小屋駅間。クモハ501+クモハ502の下仁田ゆき。
2025年1月1日 16時10分。
佐野のわたし〜根小屋駅間。
クモハ501+クモハ502の下仁田ゆき。

以前に、上信電鉄は車庫の建屋がないというようなことを書いた記憶があるのですが、高崎駅に隣接してあるので、念の為。

再び八高線で帰宅しました。寄居あたりまでは満席でした。

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2024年12月22日 (日)

2024年11月9日(土)は大阪方面へ行ってました、その5

今回の関西 訪問の目的、京都鉄道博物館で旧・国鉄の車両に混じって展示される元・西武の新101系電車(近江鉄道の100形)。

2024年11月9日 16時ころ。京都鉄道博物館。近江鉄道の100形。
2024年11月9日 16時ころ。京都鉄道博物館。近江鉄道の100形。
2024年11月9日 16時ころ。京都鉄道博物館。

近江鉄道の100形。
屋根上と、甲種鉄道車両輸送の時そのままという102の車内を見られました。

2024年11月9日 16時ころ。京都鉄道博物館。館内の通路から、京都貨物ターミナル駅と東海道本線・新幹線が見られました。
2024年11月9日 16時ころ。京都鉄道博物館。

館内の通路から、京都貨物ターミナル駅と東海道本線・新幹線が見られました。

2024年11月9日 16時ころ。京都鉄道博物館。本線とつながっていると思われる留置線に蒸気機関車が留置され、C56形が牽引するSL列車も走ってました。
2024年11月9日 16時ころ。京都鉄道博物館。

本線とつながっていると思われる留置線に蒸気機関車が留置され、C56形が牽引するSL列車も走ってました。
SL列車の客車は、コンテナ貨車に客室を載せたようにも見えました。

2024年11月9日 16時ころ。京都鉄道博物館。SL列車を牽引していたC56形はこの日最後の運転だったので、火室から灰を掻き出した後で、フォークリフトで石炭を補充し、扇形機関庫に入りました。
2024年11月9日 16時ころ。京都鉄道博物館。

SL列車を牽引していたC56形はこの日最後の運転だったので、火室から灰を掻き出した後で、フォークリフトで石炭を補充し、扇形機関庫に入りました。

帰りのバスまで時間があるので、梅小路京都西口駅からJRに乗車し、嵐山へ。
乗車した亀山ゆきは嵐山に到着する頃は空席が目立ちましたが、嵯峨嵐山駅の上りホームは観光客で混雑。同じドアに固まって乗車しようとしたり、大変そうでした。

2024年11月9日 17時過ぎ。嵯峨嵐山。京都方面ゆきホームの様子。左手に始発の京都方面ゆきが発車を待っていましたが、まだ、ガラガラでした。
2024年11月9日 17時過ぎ。嵯峨嵐山。

京都方面ゆきホームの様子。左手に始発の京都方面ゆきが発車を待っていましたが、まだ、ガラガラでした。

観光客で混雑し、お値段は千円単位な感じの嵐山の街を抜け、嵐電で京都の西院(さい)へ。小型車両の2両編成も混雑していました。

2024年11月9日 18時7分。西院。嵐山で乗車を見送った2両編成が、四条大宮から戻って来ましたが、原色の301は回送で、切り離されて入庫でした。
2024年11月9日 18時7分。西院。

嵐山で乗車を見送った2両編成が、四条大宮から戻って来ましたが、原色の301は回送で、切り離されて入庫でした。

2024年11月9日 18時26分。西院。この2両編成も、前の1両だけが嵐山へ向かい、後ろの104は切り離されて入庫でした。
2024年11月9日 18時26分。西院。

この2両編成も、前の1両だけが嵐山へ向かい、後ろの104は切り離されて入庫でした。

駅近くで、600円で購入したたこ焼きを食べながらの撮影でした。8個ほど入っていて、おいしかったです。
阪急の西院(さいいん)駅から大阪梅田へ行きました。

2024年11月9日 19時6分。茨木市。右の特急 梅田ゆきは混んでて座れなかったので、左側のSDGsトレインの準急に乗り換えました。
2024年11月9日 19時6分。茨木市。

右の特急 梅田ゆきは混んでて座れなかったので、左側のSDGsトレインの準急に乗り換えました。
特急の座席指定車両「PRiVACE」をアピールする「P」ヘッドマークが目立っていました。

大阪梅田からは特急で京都の烏丸まで乗車。新型車両の2300系は一般車両も転換クロスシート(料金不要)。西武40000系のL/Cシートより乗り心地(座り心地)は良かったです。

京都市営地下鉄で、烏丸からJRの京都駅へ移動。
3本だけの、近鉄シリーズ21の京都市交乗り入れ用3220系に出会えました。

2024年11月9日 20時41分。烏丸。近鉄3220系の国際会館ゆき。
2024年11月9日 20時41分。烏丸。

近鉄3220系の国際会館ゆき。
混雑しているようで、ホームの時刻表に臨時列車の掲示もありました。

JRの京都駅前を歩いていたら、たまに池袋界隈で見かける群馬県の日本中央バスが走ってきました。USJが始発で、高崎に翌朝の5時過ぎに到着のようです。

2024年11月9日 21時40分。京都駅前。高崎・前橋ゆきの日本中央バス。
2024年11月9日 21時40分。京都駅前。
高崎・前橋ゆきの日本中央バス。

京都駅を出た直後の近鉄電車と、上田・軽井沢ゆきの近鉄バス。こちらは翌朝の6時過ぎに上田へ到着。

2024年11月9日 22時過ぎ。京都駅近く。上田・軽井沢ゆき近鉄バスと、奈良方面へ発車した近鉄電車。
2024年11月9日 22時過ぎ。京都駅近く。

上田・軽井沢ゆき近鉄バスと、奈良方面へ発車した近鉄電車。

帰りも夜行の高速バスでした。電鉄系ではないバス会社。
シートのリクライニングを戻すためには後ろから背ずりを持ち上げる必要があったりでした。シートのリクライニングは深かったのですが、一番前の中央だったのでレッグレストがなく、寝ていたら血流が滞りふくらはぎが痛くなったりもしたのですが、持ち上げると出てくるレッグレストがあったのかもしれません。

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2024年12月15日 (日)

2024年11月9日(土)は大阪方面へ行ってました、その4

丹波橋駅で京阪から近鉄に乗り換えました。

2024年11月9日 13時39分。近鉄丹波橋。京都市交通局の新型車両20系の急行 奈良ゆき(右)と、近鉄電車の京都ゆき急行。
2024年11月9日 13時39分。近鉄丹波橋。

京都市交通局の新型車両20系の急行 奈良ゆき(右)と、近鉄電車の京都ゆき急行。

2024年11月9日 13時42分。近鉄丹波橋。近鉄の新型車両 8A系の柏原神宮前ゆき普通列車。
2024年11月9日 13時42分。近鉄丹波橋。

近鉄の新型車両 8A系の柏原神宮前ゆき普通列車。

2024年11月9日 14時4分。伏見。近鉄の特急列車(右)と京都市交通局の10系の急行 国際会館ゆき。
2024年11月9日 14時4分。伏見。

近鉄の特急列車(右)と京都市交通局の10系の急行 国際会館ゆき。

京都駅へ到着すると、続いて観光特急の「あをによし」も到着でした。

2024年11月9日 14時25分。京都。到着する「あをによし」。
2024年11月9日 14時25分。京都。到着する「あをによし」。

近鉄の駅構内の蕎麦屋さんで「にしんそば」を食してから(同じく駅構内で販売の柿の葉寿司も魅力的でした)、歩いて京都鉄道博物館へ行きました。
途中、路面電車が走っていたので寄り道。

2024年11月9日 15時26分。梅小路公園(京都市内)。リチウム電池で走る路面電車。
2024年11月9日 15時26分。梅小路公園(京都市内)。
リチウム電池で走る路面電車。
2024年11月9日 15時過ぎ。梅小路公園の「市電広場」。京都市交通局の路面電車が屋根の下に6両保存されていましたが、車内は活用されていて賑わっていました。
2024年11月9日 15時過ぎ。梅小路公園の「市電広場」。

京都市交通局の路面電車が屋根の下に6両保存されていましたが、車内は活用されていて賑わっていました。

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2024年10月 5日 (土)

2024年9月14日(土) 午後の米子からの道中

伯耆大山駅を発車した新見ゆき824Mの車内から駅構内を見ています。

2024年9月14日 11時26分ころ。伯耆大山。824Mの車内から見た駅構内。右手の貨物駅には、貨車に連結されヘッドマーク付きのEF64-1039とEF65-1035が止まってました。
2024年9月14日 11時26分ころ。伯耆大山。

824Mの車内から見た駅構内。右手の貨物駅には、貨車に連結されヘッドマーク付きのEF64-1039とEF65-1035が止まってました。

伯耆大山駅を発車後に見えた大山です。

2024年9月14日 11時半ころ。伯耆大山〜岸本駅間。東側の車窓に見えた大山。
2024年9月14日 11時半ころ。伯耆大山〜岸本駅間。
東側の車窓に見えた大山。

根雨駅では16分の停車時間が設定されていました。上下の特急「やくも」も揃い、列車が3本集合でした。

2024年9月14日 12時4分ころ。根雨。左から、クモハ115-1518+クモハ114-1196の824M、8連の特急「やくも7号」(1007M)、4連の特急「やくも14号」(1014M)。
2024年9月14日 12時4分ころ。根雨。

左から、クモハ115-1518+クモハ114-1196の824M、8連の特急「やくも7号」(1007M)、4連の特急「やくも14号」(1014M)。
1014Mは運転停車だったようです。

次の普通列車までに貨物列車が来るかなと想像して、生山駅で824Mを下車しました。
駅前の食堂で(広島風)お好み焼きを食べ、掲示がにぎやかな駅舎と隣接施設を拝見し、ホームのベンチで休んでいたら、カメラを持った方が現れたので、駅の岡山方に向かいました。
そして14時2分、EF64-1039に牽引されたコンテナ貨物列車が到着(私以外は車で乗り付けた、10人ほどが撮っていましたが、列車が停止するとそそくさと車に乗り込み消えていきました)

2024年9月14日 14時2分。生山。EF64-1039に牽引された上りコンテナ貨物列車が到着。
2024年9月14日 14時2分。生山。

EF64-1039に牽引された上りコンテナ貨物列車が到着。

14時19分、貨物列車の横で下りの普通列車と上りの特急「やくも」がすれ違い、先発。

2024年9月14日 14時19分。生山。右から、特急「やくも18号」、米子ゆき829M、EF64-1039牽引の上り貨物列車。
2024年9月14日 14時19分。生山。

右から、特急「やくも18号」、米子ゆき829M、EF64-1039牽引の上り貨物列車。

14時23分、コンテナ貨物列車が発車して行きました。

2024年9月14日 14時23分。生山。EF64-1039牽引の上りコンテナ貨物列車が発車。
2024年9月14日 14時23分。生山。

EF64-1039牽引の上りコンテナ貨物列車が発車。
ここは神社の参道にもなっているようで、手前側に線路に向かって鳥居、奥の山に神社があり線路脇から階段がありました。開業時に地元に認められた特権なのかなと思ってます。線路に板が敷いてあって踏切のようにしたりは、はなっていません。

生山駅からクモハ115-1516+クモハ114-1178の新見ゆき826Mに乗車。新見からは特急「やくも20号」に乗車し、岡山へ。
中庄駅付近でJR貨物色のEF64-1000番台の下りコンテナ貨物列車とのすれ違いもありました。
岡山駅前を少し散歩。

2024年9月14日 17時過ぎ。岡山駅前。8101の清輝橋ゆき。
2024年9月14日 17時過ぎ。岡山駅前。8101の清輝橋ゆき。

そして、新幹線ホームへ上がり、始発の「ひかり」は見送り、博多始発の「のぞみ46号」で東京へ戻りました。
岡山発車時点では空席が多かったものの、新大阪でほぼ満席。車掌さんは訓練中だったのか女性の二人組で、お一人だけが、大きな声で指差喚呼してました。

2024年9月14日 17時31分。岡山。鹿児島中央始発の新大阪ゆき「さくら560号」。
2024年9月14日 17時31分。岡山。
鹿児島中央始発の新大阪ゆき「さくら560号」。
2024年9月14日 17時37分。岡山。博多始発の東京ゆき「のぞみ46号」。
2024年9月14日 17時37分。岡山。博多始発の東京ゆき「のぞみ46号」。
2024年9月14日 17時46分ころ。岡山〜相生。岡山駅にいたときも虹が見えていたのですが、乗車してからもしばらく見えていました。
2024年9月14日 17時46分ころ。岡山〜相生。

岡山駅にいたときも虹が見えていたのですが、乗車してからもしばらく見えていました。

そして西武池袋線で帰宅しましたが、まだ異動していなかったのか、懐かしの握手シーンが見られました(その前には幼稚園児と保母さんとオロナミンCも)。

2024年9月14日 夜。西武池袋線の車内。西武鉄道と大塚製薬の幹部が、西武球場前駅が最寄りの野球場で協定締結を思わせる、動画広告。
2024年9月14日 夜。西武池袋線の車内。

西武鉄道と大塚製薬の幹部が、西武球場前駅が最寄りの野球場で協定締結を思わせる、動画広告。

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2024年9月28日 (土)

2024年9月13日(金)の夕方も一畑電車の川跡駅

この日の夕方も川跡駅で観察してました。
川跡発・出雲大社前ゆきの急行は前日は7004の単行でしたが、この日は1001+1101の2連でした。翌日の土曜日の観光客輸送に備えての措置と想像いたします。

2024年9月13日 18時5分。川跡。松江方から4番ホームへ回送されて来た1101+1001。
2024年9月13日 18時5分。川跡。

松江方から4番ホームへ回送されて来た1101+1001。
17時前の平田駅では3番ホームに停車してました。

18時21分、川跡駅の4本のホームがすべて電車で埋まりました。
右から、待機する急行 出雲大社前ゆき105レ用の1001+1101、7001の30レ(大社前ゆき)、1003+1103の327レ(松江ゆき)、2104+2114の326レ。

2024年9月13日 18時21分。川跡。右から、急行 出雲大社前ゆき105レ用の1001+1101、7001の30レ(大社前ゆき)、1003+1103の327レ(松江ゆき)、2104+2114の326レ(出雲市ゆき)。
2024年9月13日 18時21分。川跡。

右から、急行 出雲大社前ゆき105レ用の1001+1101、7001の30レ(大社前ゆき)、1003+1103の327レ(松江ゆき)、2104+2114の326レ(出雲市ゆき)。

松江しんじ湖温泉駅から急行 電鉄出雲市ゆき328レが到着(車両は2101+2111)、4番ホームで待機していた1001+1101の105レも発車の時を迎えました。

2024年9月13日 18時38分。川跡。左が2101+2111の328レ、右が1001+1101の105レ。
2024年9月13日 18時38分。川跡。

左が2101+2111の328レ、右が1001+1101の105レ。

18時46分、326レだった2104+2114が、電鉄出雲市駅から急行 雲州平田ゆき(205レ)で戻ってきました。

2024年9月13日 18時46分。2番ホームに到着する2104+2114の205レ。
2024年9月13日 18時46分。川跡。

2番ホームに到着する2104+2114の205レ。
種別・行き先表示は、前面・左側の窓内のサボですが、暗くて読めません。

19時3分ころの330レ(松江発・出雲市ゆき)は(<-一畑口)7002+7004でした。
7002は315レを平田まで担当した車両です。
7004は314レ(松江12時45分着)で見たのが最後でしたので、319レを担当し平田で車両交換されて(319レの車両の折返しとなりそうな320レは2101+2111でした)、平田で連結された2両は夕方、松江に回送されて330レ(松江しんじ湖温泉18時14分発)を担当だったのかもしれません。

そして15時半ころから大社線を往復していた7001が、出雲大社前発の急行 雲州平田ゆき105レでした。
19時を過ぎるとホーム入口の発車案内のディスプレイへの信号が途絶えて着発ホームがわからず、松江方面ゆきだから2番ホームかなと思って待っていたら、1番ホーム着発でした。

2024年9月13日 19時29分。川跡。1番ホームに到着した7001の急行 雲州平田ゆき105レ。
2024年9月13日 19時29分。川跡。

1番ホームに到着した7001の急行 雲州平田ゆき105レ。

雲州平田駅の1番ホームに到着した7001は、出雲市方へ引き上げられて車庫へ入っていきました。

2024年9月13日 19時40分ころ。雲州平田。一番 手前側の電車が入庫する7001。
2024年9月13日 19時40分ころ。雲州平田。
一番 手前側の電車が入庫する7001。

7002+7004の331レで松江へ戻りました。
松江しんじ湖温泉駅に停車中の2103+2113は前面・左側の窓に「貸切」サボを出して、車内で何やら準備作業中でした。

2024年9月13日 20時35分ころ。松江しんじ湖温泉。331レで到着した7004+7002(左)と、貸切営業の準備中な様子だった2113+2103。
2024年9月13日 20時35分ころ。松江しんじ湖温泉。

331レで到着した7004+7002(左)と、貸切営業の準備中な様子だった2113+2103。

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2024年9月13日(金)の日中は一畑電車であちらこちらへ

一畑口10時11分発の、7002の310レで電鉄出雲市駅へ行きました。
川跡駅で、501レ(電鉄出雲市発・出雲大社前ゆき直通、2104+2114)から乗り換えてきた、出雲大社に行きたい中華系・英語話者とお話しながら、電鉄出雲市駅へ到着。
駅員さんにその方は引き継ぎ(バスで出雲大社へ向かったようでした)、すぐ近くのJRの駅で翌日の特急やくも号の特急券(指定席券)を購入したり(「みどりの窓口」はなくなっていたので自動券売機で購入。億劫ですが、自分で席を選べるので便利でした)してから(松江のJR駅は少し遠いので)、一畑電車へ戻りました。
出雲大社へ行こうと思っていたのですが、松江ゆき315レは途中の平田で車両交換ということだったので、7002単行の315レに乗車し平田へ。2番ホームに到着すると、向かいの3番ホームに1001+1101が待っていて乗り換えました。
湖遊館新駅 駅まで乗車し、近くの面白い橋(見た目?吊橋)を見学してから、7004の314レ・2104+2114の18レ(2104の車内は暑かったので2114に乗車)で出雲大社前駅へ至りました。

2024年9月13日 お昼。湖遊館新駅 駅近くの橋。欄干の上にロープが載っていますが、重さはかかっておらず、なくても(切れても)橋はピンピンしていると思われます。
2024年9月13日 お昼。湖遊館新駅 駅近くの橋。

欄干の上にロープが載っていますが、重さはかかっておらず、なくても(切れても)橋はピンピンしていると思われます。
見た目は悪くないと思います。

なお7004は、501レで大社線に入った2104+2114と入れ替わりに、101レで大社線を出て松江へ行った車両です。そして前日は、夕方の川跡始発の出雲大社前ゆき急行から営業を始めてた車両でもあります。
また315レを平田から担当した1001+1101は、朝の一畑口には来なかった編成で、10時20分ころは平田の車庫に見えました。

14時すぎの出雲大社前駅。ホームに停車中の2104+2114は側扉が開いているので乗車できると思って改札口へ行ったら、閉まってました。
暑い中、電車の冷房装置で界隈を冷却するのは非常にお間抜けなので、売店のおばさんと、改札のおばさんに、改善を要望しておきました(乗務員が発車直前まで休憩するためと思います。「今日は押しボタンで扉を開閉できない電車だから」というようなことを改札のおばさんは話してました。気温が穏やかであれば乗客サービスです)。川跡駅から乗った18レの2104の車内が暑かった原因は冷房装置の故障ではなくてコレだったんだと納得。

2024年9月13日 14時過ぎ。出雲大社前。閉まった改札口から見た、側扉が開いている川跡ゆきの2114+2104。
2024年9月13日 14時過ぎ。出雲大社前。

閉まった改札口から見た、側扉が開いている川跡ゆきの2114+2104。
2114はホームの屋根の下ですが、2104は直射日光にさらされてます。

発車の15分ほど前に改札が始まり、車内で待っていたら、14時9分ころに、隣のホームへ1003+1103の「しまねっこⅡ」が回送されてきました。表示は「貸切」。

2024年9月13日 14時17分ころ。出雲大社前。右から、回送されてきた1003+1103、2104+2114の川跡ゆき19レ、デハニ52。
2024年9月13日 14時17分ころ。出雲大社前。

右から、回送されてきた1003+1103、2104+2114の川跡ゆき19レ、デハニ52。

川跡駅の近くで待っていたら、15時9分ころに出雲大社前から1003+1103がやって来て、川跡駅を通過し、松江方面へ向かっていました。

2024年9月13日 15時9分ころ。川跡。出雲大社前から松江方面へ通過する1003+1103の臨時列車。
2024年9月13日 15時9分ころ。川跡。

出雲大社前から松江方面へ通過する1003+1103の臨時列車。

大社線を走っていた2104+2114は103レで退出し、代わりに7001が503レで電鉄出雲市からやって来て大社線の担当に入りました。
7001は3両編成の305レ スーパーライナーから業務開始し、312レから単行で松江〜電鉄出雲市間を往復していた車両。

2024年9月13日 15時38分。川跡。電鉄出雲市から出雲大社前へ向かう7001の503レ。左奥に、出雲大社前から松江へ向かう2114+2104の103レが見えてます。
2024年9月13日 15時38分。川跡。

電鉄出雲市から出雲大社前へ向かう7001の503レ。左奥に、出雲大社前から松江へ向かう2114+2104の103レが見えてます。
この2本と同時に川跡駅にいた松江発・出雲大社ゆき320レは2101+2111でした。313レ〜320レまで、4時間ほどは松江しんじ湖温泉駅でお休みだったようでした。

伊予灘駅に到着する1003+1103の324レ。
貸切列車だった1003+1103は夕方もお仕事でした。

2024年9月13日 17時9分。伊予灘。到着する1003+1103の324レ 電鉄出雲市ゆき。
2024年9月13日 17時9分。伊予灘。

到着する1003+1103の324レ 電鉄出雲市ゆき。
右手に宍道湖が見えています。

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2024年9月13日(金)朝は一畑口駅で一畑電車を見てました

朝から一畑電車を見てました。
とは言え、松江しんじ湖温泉駅6時26分発の一番列車300レは、オレンジ色の元・京王5000系だなーと見送ることになってしまいました(折返しと思われる307レは(<-一畑口)2104+2114でした)。
2番列車 302レは2103+2113(雲州平田始発の1番列車201レの折返し)。これに乗車して一畑口駅へ行きました。途中、1002+1102の301レとすれ違い。
一畑口駅で3時間ほど過ごしました。日差しが強くてとても暑く、木陰で待機しながら電車を待ちました。

2024年9月13日。一畑口。2101+2111の303レ(手前)と、電鉄出雲市へ発車した2103+2113の302レ。
2024年9月13日。一畑口。

2101+2111の303レ(手前)と、電鉄出雲市へ発車した2103+2113の302レ。

305レの「スーパーライナー」は(<-一畑口)7003+7001+7002の3両編成でした。

2024年9月13日。一畑口。7002+7001+7003のスーパーライナー 松江しんじ湖温泉ゆき305レ。
2024年9月13日。一畑口。

7002+7001+7003のスーパーライナー 松江しんじ湖温泉ゆき305レ。

2024年9月13日。一畑口〜伊野灘。7003+7001+7002の305レ。
2024年9月13日。一畑口〜伊野灘。
7003+7001+7002の305レ。

雲州平田始発の松江しんじ湖温泉ゆき203レは1003+1103、電鉄出雲市ゆきの304レは1002+1102(301レの折返し)。

2024年9月13日。一畑口。1103+1003の203レ(左)と、1102+1002の304レ。
2024年9月13日。一畑口。

1103+1003の203レ(左)と、1102+1002の304レ。

一畑口 8時12分発の松江ゆき307レは2104+2114でした。
そして一畑口 8時38分発の出雲市ゆき306レは2101+2111、8時39分発の松江ゆき309レは2103+2113。

2024年9月13日。一畑口〜伊野灘。2101+2111の306レ。
2024年9月13日。一畑口〜伊野灘。2101+2111の306レ。
2024年9月13日。一畑口。2113+2103の309レ(左)と、2111+2101の306レ。
2024年9月13日。一畑口。

2113+2103の309レ(左)と、2111+2101の306レ。

3両編成のスーパーライナー305レで一畑口方に連結されていた7003が単独で回送されてきました。9時2分ころに到着し、すぐに出雲市方面へ発車して行きました。
この1時間半ほど後、7003は平田の車庫の建屋内に止まってました。

2024年9月13日 9時3分ころ。一畑口。松江から出雲市方面へ回送される7003が発車。
2024年9月13日 9時3分ころ。一畑口。

松江から出雲市方面へ回送される7003が発車。

9時22分、1002+1102の311レの到着後に、2104+2114の電鉄出雲市ゆき308レが到着(到着は両方向が交差しないので、同時進入も可能です)。

2024年9月13日 9時22分ころ。一畑口。1102+1002の311レ(左)と、2114+2104の308レ。
2024年9月13日 9時22分ころ。一畑口。

1102+1002の311レ(左)と、2114+2104の308レ。
308レはさらに奥へ進んで停車します。

9時35分ころに2103+2113の回送列車が松江方面から到着しました。309レの折返しは雲州平田への回送でした。

2024年9月13日 9時36分。一畑口。出雲市方面へ発車した2103+2113の回送列車。
2024年9月13日 9時36分。一畑口。

出雲市方面へ発車した2103+2113の回送列車。

そして9時47分、1003+1103「しまねっこⅡ」の臨時列車が松江方面から到着。車内は制服の学生さん(中学生?)と付添の教師の風情でした。
乗務員さんにお尋ねしたら、一般利用者は不可な臨時列車とのことで、扉は開かずに、9時47分に出雲市方面へ発車していきました。
1003+1103は雲州平田始発の203レで松江しんじ湖温泉駅へ8時18分に到着していたはずです。

2024年9月13日 9時48分。一畑口。出雲市方面へ発車した1003+1103の臨時列車。
2024年9月13日 9時48分。一畑口。

出雲市方面へ発車した1003+1103の臨時列車。

2連の列車が続いていましたが、松江しんじ湖温泉駅が9時42分発の310レから単行列車でした。
313レは2101+2111。

2024年9月13日 10時9分。一畑口。7002の310レ(左)と、松江方面へ発車して行く2101+2111の313レ。
2024年9月13日 10時9分。一畑口。

7002の310レ(左)と、松江方面へ発車して行く2101+2111の313レ。
撮影場所は構内通路ですが、踏切とはなっていませんでした。

310レの7002は、3両編成のスーパーライナー305レの松江方の先頭だった車両です。
中間だった7001はこの次の312レを担当でした。単純なFILOであれば7001が310レ・7002が312レですので、松江しんじ湖温泉駅で入換があったようです。

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2024年9月23日 (月)

2024年9月12日(木)夜の一畑電車 川跡駅の様子

<お知らせ>ブログのデータ量が上限に達したので、過去の記事から画像を削除しました。

自転車を返して、再び電車に乗車。2時間ほど川跡駅で観察してました。
17時半ころの雲州平田駅3番ホームにいた7004が、18時5分に4番ホームへ到着しました。

2024年9月12日 18時5分。川跡駅。松江方から4番ホームへ到着する7004の回送列車。
2024年9月12日 18時5分。川跡駅。

松江方から4番ホームへ到着する7004の回送列車。

その20分ほど後、松江しんじ湖温泉、電鉄出雲市、出雲大社前と、3方向から列車が到着し、4番ホームの7004とともに、すべてのホームが埋まりました。

2024年9月12日 18時23分。川跡駅。左から、松江からの電鉄出雲市ゆき、電鉄出雲市からの松江ゆき、出雲大社前からの川跡止まり(折返し出雲大社前ゆき)、そして4番線で待機の7004。
2024年9月12日 18時23分。川跡駅。

左から、松江からの電鉄出雲市ゆき、電鉄出雲市からの松江ゆき、出雲大社前からの川跡止まり(折返し出雲大社前ゆき)、そして4番線で待機の7004。

各方面への列車が発車後、4番ホームで待機の7004に「急行 出雲大社前」ゆきの表示が出ました。

2024年9月12日 18時26分。川跡駅。4番ホームで待機してた7004が32レ(急行 出雲大社前ゆき)の表示となりました。
2024年9月12日 18時26分。川跡駅。

4番ホームで待機してた7004が32レ(急行 出雲大社前ゆき)の表示となりました。

川跡駅の反対側へ移動。
上の写真から15分ほど後に、右端の3番ホームに松江から急行 電鉄出雲市ゆきが到着しました。4番ホームで待つ7004の出雲大社前ゆき急行は素通りされ、改札を出る人が多かったです。

2024年9月12日 18時39分。川跡駅。3番ホームに松江から2連の急行 電鉄出雲市ゆきが到着。4番ホームでは7004の急行 出雲大社前ゆきが待機。
2024年9月12日 18時39分。川跡駅。

3番ホームに松江から2連の急行 電鉄出雲市ゆきが到着。4番ホームでは7004の急行 出雲大社前ゆきが待機。

2024年9月12日 18時39分。川跡駅。3番ホームから2114+2104の急行 電鉄出雲市ゆきが発車。4番ホームの急行 出雲大社前ゆきはまだ待機。
2024年9月12日 18時39分。川跡駅。

3番ホームから2114+2104の急行 電鉄出雲市ゆきが発車。4番ホームの急行 出雲大社前ゆきはまだ待機。

2024年9月12日 18時40分。川跡駅。4番ホームから7004の急行 出雲大社前ゆきが発車。
2024年9月12日 18時40分。川跡駅。

4番ホームから7004の急行 出雲大社前ゆきが発車。

18時23分に川跡駅で4列車が並んだ時の電鉄出雲市ゆきだった1000系2連が、急行 雲州平田ゆきで戻りました。

2024年9月12日 18時48分。川跡駅。2番ホームから発車した1000系2連の 急行 雲州平田ゆき(205レ)。
2024年9月12日 18時48分。川跡駅。

2番ホームから発車した1000系2連の 急行 雲州平田ゆき(205レ)。

出雲大社前からも急行 雲州平田ゆきがやって来て、19時29分に発車していきました。
回送されてきた7004ではなくて、大社線を夕方 走っていた7003だったようです(この後、20時過ぎの雲州平田駅の2番ホームに車内が暗い7003が止まってました)。

2024年9月12日 19時29分。川跡駅。7003の急行 雲州平田ゆき。
2024年9月12日 19時29分。川跡駅。
7003の急行 雲州平田ゆき。

川跡19時45分発が所定の松江ゆきに乗車しましたが、大社線で踏切の動作不良があって接続列車が遅れたため、10分ほど遅れての発車でした。

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2024年9月22日 (日)

2024年9月12日のウップルイから一畑口駅へのサイクリング

<お知らせ>ブログのデータ量が上限に達したので、過去の記事から画像を削除しました。

ウップルイ(十六島)の風車を眺めながら休憩してから、旅伏駅へ戻りました。

2024年9月12日。旅伏。7001の電鉄出雲市ゆき。
2024年9月12日。旅伏。7001の電鉄出雲市ゆき。

旅伏駅から少し南へ走って斐伊川(ひいがわ)の堤防に上がり、宍道湖へ向かって走りました。
北側南側の中国山地から雲が湧き出てきて、市街地で積乱雲になっているようでしたが、素人なので断定はせず、広い眺めを堪能しました。(9月23日 19時23分修正)

2024年9月12日 13時半ころ。河口から6kmほどの川の堤防。
2024年9月12日 13時半ころ。
河口(宍道湖)から6kmほどの川の堤防。
2024年9月12日 13時半ころ。斐伊川の橋の上から西の空を見てます。
2024年9月12日 13時半ころ。
斐伊川の橋の上から西の空を見てます。
2024年9月12日 14時ころ。斐伊川の堤防の上から東の空を見てます。高い積乱雲が発達してます。
2024年9月12日 14時ころ。

斐伊川の堤防の上から東の空を見てます。高い積乱雲が発達してます。

2024年9月12日 14時ころ。上の写真の反対側を見ると、輪っかが浮かんでました。
2024年9月12日 14時ころ。上の写真の反対側を見ると、輪っかが浮かんでました。
2024年9月12日 14時ころ。

上の写真の反対側を見ると、輪っかが浮かんでました。

2024年9月12日 14時ころ。東の空にあった積乱雲の上半分が消えてました。その下は少し暗いので、雲の水蒸気が雨になって落ちてしまったのだと思います。
2024年9月12日 14時ころ。

東の空にあった積乱雲の上半分が消えてました。
その下は少し暗いので、雲の水蒸気が雨になって落ちてしまったのだと思います。

240912huke1357
2024年9月12日 14時ころ。

雨を降らせた積乱雲の変形が始まってました。

2024年9月12日 14時ころ。斐伊川の堤防の上から東を見てます。河口に近づき宍道湖の広がりが見えてきました。
2024年9月12日 14時ころ。

斐伊川の堤防の上から東を見てます。
河口に近づき宍道湖の広がりが見えてきました。
中国山地から雲がにょきにょき突き出てきて、傍から見ると可愛い感じでした。

2024年9月12日 14時半ころ。斐伊川の堤防から宍道湖の湖岸の道に入り、園駅付近から対岸を見てます。
2024年9月12日 14時半ころ。

斐伊川の堤防から宍道湖の湖岸の道に入り、園駅付近から対岸を見てます。
中国山地から突き出てきた雲たち。

2024年9月12日 14時半ころ。宍道湖の北西岸(園駅近く)から南東側を見てます。
2024年9月12日 14時半ころ。

宍道湖の北西岸(園駅近く)から南東側を見てます。
雨を降らして半分が消失した積乱雲が再びモクモクし出してます。

宍道湖の北岸の一畑口駅でサイクリングは終了しました。

2024年9月12日 14時58分。一畑口。発車する松江しんじ湖温泉ゆき。
2024年9月12日 14時58分。一畑口。
発車する松江しんじ湖温泉ゆき。 スイッチバック式の駅です。
2024年9月12日 15時11分。一畑口。到着する電鉄出雲市ゆき。
2024年9月12日 15時11分。一畑口。
到着する電鉄出雲市ゆき。

次の電車で松江しんじ湖温泉駅へ戻り、お店にレンタサイクルを返し、運動は終了。
スマホのアプリの計測によると、自転車での移動距離は33kmほどで、獲得標高は207メートル、最高標高は73メートル、平均時速は14.6kmとのことでした。

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2024年9月12日、サンライズ出雲で東京から松江、そしてウップルイへ

<お知らせ>ブログのデータ量が上限に達したので、過去の記事から画像を削除しました。

9月12日(木)の朝、サンライズ出雲号で松江へ到着しました。
途中の伯耆大山駅の様子。

2024年9月12日 9時ころ。伯耆大山。通過するサンライズ出雲の車内から見たJR貨物の駅構内。
2024年9月12日 9時ころ。伯耆大山。

通過するサンライズ出雲の車内から見たJR貨物の駅構内。

松江駅で下車し、大きな荷物は駅のロッカーに入れて、バスで一畑電車の松江しんじ湖温泉駅へ。
近くの自転車屋さんで事前に予約していたレンタサイクルを受取、電車で旅伏(たぶし)駅へ移動しました。

2024年9月12日。松江しんじ湖温泉駅。左は留置中の2104+2114。右が乗車した7003の電鉄出雲市ゆき。
2024年9月12日。松江しんじ湖温泉駅。

左は留置中の2104+2114。右が乗車した7003の電鉄出雲市ゆき。

国土地理院の地形図で、交通量が少なさそうな道が旅伏駅から日本海側まで伸びていたので走りました。

2024年9月12日。旅伏駅から北東へ3kmほどのところ。電鉄平田駅方向を見てます。
2024年9月12日。

旅伏駅から北東へ3kmほどのところ。
電鉄平田駅方向を見てます。

2024年9月12日。旅伏駅から北東へ4kmほどのところ。最高気温は30℃を越えまだまだ暑い日でしたが、紅葉しはじめのイチョウでしょうか?
2024年9月12日。

旅伏駅から北東へ4kmほどのところ。
最高気温は30℃を越えまだまだ暑い日でしたが、紅葉しはじめのイチョウでしょうか?

2024年9月12日。小さな丘を越えて日本海(十六島湾)へ下ったところです。
2024年9月12日。

小さな丘を越えて日本海(十六島湾)へ下ったところです。

2024年9月12日。小津。旅伏駅から下ってきたのが右手の道で、これから左奥の道を進みました。「十六島」はウップルイと読みます(かな漢字変換は「うっぷるい」で「十六島」が出てきました)。
2024年9月12日。小津。

旅伏駅から下ってきたのが右手の道で、これから奥へ進みました(帰りは奥から戻って来て、左手に進みました)。
「十六島」はウップルイと読みます(かな漢字変換は「うっぷるい」で「十六島」が出てきました)。
朝鮮半島からの渡来人が住んでいたのでしょうか?
竹島(独島)で韓国に甘くしていると、ここまで取られてしまうと心配している日本の人はいるのかな? 北朝鮮が主張してきたり、…。

2024年9月12日。十六島湾に沿って、半島の先へ進んでいます。出雲市生活バスが半島の先からやって来ました。
2024年9月12日。

十六島湾に沿って、半島の先へ進んでいます。出雲市生活バスが半島の先からやって来ました。

2024年9月12日。旅伏駅からきつい坂はなかったのですが、最後の1kmほどは例外。急坂を登ると風車が立ち並ぶ尾根に出ました。
2024年9月12日。

旅伏駅からきつい坂はなかったのですが、最後の1kmほどは例外。
急坂を登ると風車が立ち並ぶ尾根に出ました。

2024年9月12日。十六島風車公園。お借りしたレンタサイクルと、風車。
2024年9月12日。十六島風車公園。

お借りしたレンタサイクルと、風車。
風は吹いていましたが、回っている風車は1基だけでした。止まっている風車からは空調音みたいなの聞こえて来ましたが、羽を回さないために電気を使うことはあるのでしょうか?

2024年9月12日。十六島風車公園。風車公園から、日本海側(外海)側を見てます。
2024年9月12日。十六島風車公園。
風車公園から、日本海側(外海)側を見てます。

「スカイツリーライン」とか自称する鉄道会社が東京にありますし、「ウップルイ」は大目に見ていただければと思います。

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